郷里・岡山県高梁市のこと
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高梁の尺八工房の改修(その1)(2021.5.9)

昨年の夏に、実家の2階ベランダに屋根を設けて、作業台を製作して胡弓の弓や尺八の製作を始めましたが、11月に入ると、朝晩は冷え込むようになり、今度はポリカボネード板で回りに壁を設けました。隙間風も入らず、冬場でも太陽熱で作業場は昼間は20℃くらいになり、快適に尺八製作も出来ましたが、4月に入ると、日中は30℃を超えるようになりました。これでは日中は暑くて作業が出来ないので、扉部分には網戸を設けましたが、それでも作業台前は暑く感じるので、アルミサッシュ窓(網戸付)を取り付けることにしました。先月、発注したら川崎の自宅に戻っているときに窓が届いていました。今日は、作業台の前面のポリカボネード板を切り除いて、窓用の枠をツーバイフォー材で製作して、窓枠を組み立て、取り付けをして、窓が完成しました。窓からは、庭の赤松、さらに先には海抜400mの山を見ながら作業が出来ます。作業台の前面から涼しい風が通り抜けるので、これならばしばらくは作業ができそう。それでも、高梁市は昨年の8月には35℃以上連続23日の日本記録を更新した町なので、作業場もエアコンが無ければ夏場の作業は無理のようです。
作業台の前面に窓を(クリックで画像を拡大)
アルミサッシュ窓(クリックで画像を拡大)
窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)
窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)

高梁の尺八工房の改修(その2)(2021.5.9)

窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)
窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)
窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)
窓枠の組み立てから(クリックで画像を拡大)

高梁の尺八工房の改修(その3)(2021.5.9)

窓の取付枠を製作(クリックで画像を拡大)
窓の取付枠を製作(クリックで画像を拡大)
木枠を製作・取り付け(クリックで画像を拡大)
アルミサッシュ窓枠を取り付け(クリックで画像を拡大)

高梁の尺八工房の改修(その4)(2021.5.9)

窓と網戸をはめ込む(クリックで画像を拡大)
窓と網戸をはめ込む(クリックで画像を拡大)
窓から涼しい風が(クリックで画像を拡大)

竹谷ダムと周辺の竹(その1)2021.2.22

晴天の日には、母を連れて昼食に出かける吉備高原都市、食事の後は、吉備中央町を通り高梁の実家に帰りますが、今は母は脳梗塞で入院中なので、同じコースを一人で出かけました。帰りにいつも立ち寄る、小さなダム(竹谷ダム)に立ち寄りました。このダムの周辺には、真竹、孟宗竹。淡竹、亀甲竹、布袋竹と様々な竹が群生しています。それらの竹を見るのも楽しみです。
竹谷ダムを望む(クリックで画像を拡大)
竹谷ダムを望む(クリックで画像を拡大)
向かい側の山並み(クリックで画像を拡大)
ダムの案内板(クリックで画像を拡大)

竹谷ダムと周辺の竹(その2)2021.2.22

ダムの上部は車が通行できる(クリックで画像を拡大)
正面は真竹の竹藪(クリックで画像を拡大)
ダム湖の右側は亀甲竹、左は真竹(クリックで画像を拡大)
岩の割れ目から石清水(クリックで画像を拡大)

竹谷ダムと周辺の竹(その3)2021.2.22

石清水の湧き出る岩盤の上には真竹の竹林がありますが、節間の短い真竹なので竹質は良くても延べ管ならば、1尺8寸管くらいしかとれません。一段下の道路部分には孟宗竹の間に亀甲竹が生えています。
岩盤の上に生えた真竹(クリックで画像を拡大)
岩盤の上に生えた真竹(クリックで画像を拡大)
亀甲竹と孟宗竹(クリックで画像を拡大)
亀甲竹と孟宗竹(クリックで画像を拡大)

竹谷ダムと周辺の竹(その4)2021.2.22

亀甲竹の間に細い布袋竹が生えています。ダム湖の奥には真竹の竹藪がありますが、竹質が悪く素性も良くないので尺八には使用できません。
亀甲竹と布袋竹(クリックで画像を拡大)
ダム湖の向こう側は真竹の竹藪(クリックで画像を拡大)
ダム湖の真竹は素性が悪い真竹が(クリックで画像を拡大)
ダム湖の真竹は素性が悪い真竹が(クリックで画像を拡大)

竹谷ダムと周辺の竹(その5)2021.2.22

ダム湖の周遊走路の上部の真竹は太くで尺八には不向きな竹ばかりです。
周遊道路上部の真竹(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その1)2020.12.22

この日は朝から晴天なので、久々に備中松山城に登ることにしました。実家から徒歩ならば1時間ばかりかかりますが、途中ふいご峠まで車で行き、そこから天守広場までは徒歩で登りました。天守広場で持参の地無し3尺管に息をいれました。地元の小学校の4年生が野外学習で登ってきました。若い先生も子供たちも、初めて見た尺八に驚きました。みなさんと記念撮影をしました。午前11時になると急に曇り空になり気温が1℃になり、寒いので急いで下山、ふいご峠で車にのれば、実家の駐車場まで5分で到着しました。この日は、猫城主・三十郎も登場しました。猫にもコロナが感染するとのことで、三十郎に触ることは出来ませんでした。
ふいご峠からの登山道(クリックで画像を拡大)
ふいご峠からの登山道(クリックで画像を拡大)
ふいご峠からの登山道(クリックで画像を拡大)
ふいご峠からの登山道(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その2)2020.12.22

ふいご峠からの登山道(クリックで画像を拡大)
大手門下に到着(クリックで画像を拡大)
大手門下に到着(クリックで画像を拡大)
天守広場に向かう(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その3)2020.12.22

天守広場に到着(クリックで画像を拡大)
3尺管を吹く(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その4)2020.12.22

天守閣を望む(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その5)2020.12.22

猫城主・三十郎の食事(クリックで画像を拡大)
猫城主・三十郎(クリックで画像を拡大)
地元の小学4年生(クリックで画像を拡大)
地元の小学4年生(クリックで画像を拡大)

雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その6)2020.12.22

天守広場からの高梁の町(クリックで画像を拡大)
帰り道(クリックで画像を拡大)
林の間に町が見える(クリックで画像を拡大)
高梁市役所前からの松山城(クリックで画像を拡大)

展望台からの備中松山城(その1)2020.9.21

海抜430mの上にある備中松山城、雲海の城として切手としても販売されています。最近では猫の城主三十郎が有名で多くの観光客が天守閣を訪れています。この日は連休中なので他県の車が多数来ていました。
雲海の城撮影展望台(クリックで画像を拡大)
途中、伐採された場所からの松山城(クリックで画像を拡大)
城が小さく見える(クリックで画像を拡大)
城が小さく見える(クリックで画像を拡大)

展望台からの備中松山城(その2)2020.9.21

備中松山城を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)

展望台からの備中松山城(その3)2020.9.21

備中松山城を望む(クリックで画像を拡大)
実際には小さく見える(クリックで画像を拡大)

荘直温伝(荘芳枝、松原隆一郎著)2020.8.30

先日、明暗蒼龍会の北村竹仙氏よりメールで下記の情報をいただきました。

「昨日の日経夕刊の随筆欄に、放送大学教授の松原隆一郎氏が荘芳枝さんから大量の古文書を託され、高梁の名家荘家について、「荘直温伝」を上梓したとのこと。「荘」さんってひょっとしたら前川さんのご近所ではと。」

ネットで調べたら、今年4月に荘直温伝の書籍が出版されていました。すぐにアマゾンで購入しました。忘却の町高梁と松山荘家の九百年と表紙に書かれていました。私は高梁生まれですが、郷土のことについては、山田方谷先生のことぐらいしか知識もありませんでした。趣味の尺八で、津軽弘前藩に江戸時代から伝承された錦風流尺八の歴史調査で、ここ10年くらい弘前に通い、地元の竹友・藤田竹心氏に津軽の名所など、たくさんの場所を案内していただきました。津軽のことは、かなり知ることができましたが、郷里の高梁のことについて、この荘直温伝を読み、改めて沢山のことを知ることができました。私の実家は戦後まもなく購入したものですが、今回の書籍に付録として「備中松山城下図」がありました。弘前には、明治2年弘前絵図が残っていて、士族の名前が書かれていますが、松山城下も同じような地図です。江戸時代は、海抜430mの上にあります備中松山城を中心に、その山麓に武士の町がありましたが、大正時代に伯備線が開通してからは、町の中心が南に移動しました。荘直温氏の活躍で大正15年6月20日に伯備線が開通しました。私の実家まで武士の家でしたが、下級武士のようで、名前を見れば村井哲郎4人扶ちと書かれています。今から30年くらい前、私の娘たちが夏休みになると、高梁に帰省して実家で祖母と過ごした頃は、商店街も人が多く栄えてしましたが、今は商店街の店も次々と閉店して、人通りもまばらになりました。
「荘直温伝・荘芳枝、松原隆一郎著」発売・吉備人出版
表紙(クリックで画像を拡大)
備中松山城下図(クリックで画像を拡大)
村井哲郎宅(クリックで画像を拡大)

高梁での稽古(2020.7.30)

7月25日に神奈川県川崎市の自宅に戻る予定が、コロナの影響で、一度帰れば、再度岡山県高梁市の実家に戻ることが出来なくなるので、実家での長期滞在になりました。7月30日に東広島市から増元氏が稽古に来ました。以前は、泊まりでの稽古でしたが、母親が認知症で食事の用意が出来なくなり、日帰りの稽古になりました。増元氏の地無し2尺3寸管は製作して15年が過ぎましたが、今では独特の味わいが響く尺八になりました。地付き管ではとても味わえない音味です。しかしながら、独特の奏法なので、吹いている本人にはその音味はわかりません。管尻の先で響く音は、正面に座った人にしか味わうことが出来ないのは残念なことです。増元氏は入門の時に最も太い尺八を選んだのが正解でした。
調子から稽古の開始です(クリックで画像を拡大)
最後は越後三谷で稽古は終わりました(クリックで画像を拡大)
増元氏の太い地無し管(クリックで画像を拡大)
増元氏の太い地無し管(クリックで画像を拡大)

高梁での稽古(その1)(2020.7.16)

今日は、大阪から東吹憧氏が高梁の実家に稽古にきました。2尺3寸管にて、調子、大和調子、虚鈴、手向、鹿の遠音、布袋軒鈴慕、奥州薩字の稽古をしました。東氏も入門して8年が過ぎ、やっと地無し管の奏法に竹の響きが出るようになりました。

高梁での稽古(その2)(2020.7.16)

次は錦風流の稽古、私が30年前に製作しました2尺2寸管を川崎市の自宅から持ち帰ったので、その尺八を東氏に贈呈しました。錦風流は音の切れが必要なので、ボカンとした音の2尺3寸管ではさまになりません。東氏は、この地無し管で、調、松風の調、松風の稽古をしましたが、すばらしい音味を出してくれたので、これからが楽しみです。
2尺2寸管での稽古(クリックで画像を拡大)
2尺2寸管での稽古(クリックで画像を拡大)
2尺2寸管での稽古(クリックで画像を拡大)

日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その1)2020.7.9

久々に郷里、岡山県高梁市の実家に帰省し、日本遺産認定された吹屋ふるさと村に出かけました。天候の心配もあり、またコロナのために、観光客の姿はありませんでした。
弁柄の町・吹屋のパンフレット(クリックで画像を拡大)
弁柄の町・吹屋のパンフレット(クリックで画像を拡大)
弁柄の町・吹屋のパンフレット(クリックで画像を拡大)
弁柄の町・吹屋のパンフレット(クリックで画像を拡大)

日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その2)2020.7.9

古民家の宿・千枚(クリックで画像を拡大)
吹屋の街並み(クリックで画像を拡大)
本山山神社の由緒(クリックで画像を拡大)
吹屋の街並み(クリックで画像を拡大)

日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その3)2020.7.9

古民家の宿・千枚(クリックで画像を拡大)
古民家の宿・千枚(クリックで画像を拡大)
吹屋の街並み(クリックで画像を拡大)
吹屋の街並み(クリックで画像を拡大)

広兼邸(市指定重要文化財)2020.7.91

映画「八つ墓村」のロケに使用された広兼邸。土日・祝日と月曜日は開館するそうで、今日は残念ながら閉館でした。
広兼邸を望む(クリックで画像を拡大)
広兼邸を望む(クリックで画像を拡大)
吹屋の案内板(クリックで画像を拡大)
広兼邸の説明板(クリックで画像を拡大)

笹畝坑道(近代化産業遺産)2020.7.9

江戸時代から大正時代まで黄銅鉱、硫化鉄鉱などを採掘していた笹畝坑道も休館でした。
笹畝坑道(クリックで画像を拡大)
笹畝坑道(クリックで画像を拡大)
坑道の入口(クリックで画像を拡大)
笹畝坑道の説明板(クリックで画像を拡大)

大阪の東さんと松山城にのぼる(その1)(2013.3.28)

平成25年3月28日、高梁市の実家に帰省中に、大阪府吹田市から東吹憧さんが稽古に来ました。稽古が終わった後、車でふいご峠まで行き、ここから徒歩で備中松山城まで登りました。夕方、4時で天守閣が閉館になるので、係員が早く中を見てほしいとのことで、大急ぎで天守閣内部を見て下山しました。
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)

大阪の東さんと松山城にのぼる(その2)(2013.3.28)

松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)
松山城に登りました(クリックで画像を拡大)

高梁の町の展望台より(その1)(2011.12.29)

年末の晴れた日に、高梁の町を望む展望台から写真撮影をしました。夏の晴天の朝は、10時ごろまで霧に包まれて、この場所から町を見ることが出来ません。
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)

高梁の町の展望台より(その2)(2011.12.29)

正面の山の上に松山城が見える(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
正面の山の上に松山城が見える(クリックで画像を拡大)

備中松山城にのぼる(その1)(2011.3.14)

平成23年3月14日、高梁の実家に帰省した時に早朝散歩で、実家かた徒歩で臥牛山山頂にります備中松山城に出かけました。実家から徒歩で約1時間で430mの山頂にあります備中松山城まで行くことができます。今では、ふいご峠までタクシーやシャトルバスで行くことができます。この時は、昔の武士が徒歩で登城した道を歩きました。旧道の途中には、赤穂藩家老・大石内蔵助が、城代の時に、徒歩で登城の途中に休憩にために腰を掛けたと言われています石があります。ここからひと息で、ふいご峠に出ることができます。小学校の頃は、学校から帰ると、仲間と松山城まで駆け足で登っていました。
旧道を登る(クリックで画像を拡大)
大石内蔵助が腰を掛けた石について(クリックで画像を拡大)
大石内蔵助が腰を掛けた石について(クリックで画像を拡大)
ふいご峠に到着(クリックで画像を拡大)

備中松山城にのぼる(その2)(2011.3.14)

ふいご峠駐車場(クリックで画像を拡大)
ふいご峠駐車場(クリックで画像を拡大)
ふいご峠の上部から高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
ふいご峠の上部から高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)

備中松山城にのぼる(その3)(2011.3.14)

ふいご峠の上部から高梁の町を望む(クリックで画像を拡大)
階段を登れば天守が見える(クリックで画像を拡大)
階段を登れば天守が見える(クリックで画像を拡大)
階段を登れば天守が見える(クリックで画像を拡大)

備中松山城にのぼる(その4)(2011.3.14)

天守広場に到着(クリックで画像を拡大)
天守広場に到着(クリックで画像を拡大)
天守広場に到着(クリックで画像を拡大)
天守閣内部からの眺め(クリックで画像を拡大)