地なし尺八の銘管
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三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その1)(2022.3.13)

三代・俣野真龍(真二郎頼容)~昭和11年 51歳 
地なし管の製管師は伊東虎眼の没後三代真龍しかいなかった。父と同じく六尺近い大男で両手を広げて六尺三寸あったとのことである。作品は作者の心持が竹にも表れて、総じて柔らかい味わいであった。(谷北無竹)
銘管 (二尺管 太さ三寸七分 銘 古可良志)(二尺管 太さ四寸一分 銘 露堂々)(二尺管 無ら時雨 後醍醐天皇六百年御聖忌献笛記念 明暗無竹 謹銘)
門田笛空著・明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管より
この写真の三代・俣野真龍作の無ら時雨は、谷北無竹先生が献奏で使用されたものです。太くて、柔らかな音味、まさに地なし管のすばらしさがわかる尺八です。明暗対山派の曲には最適の尺八です。重量502グラム)
三代・俣野真龍作・無ら時雨(クリックで画像を拡大)
三代・俣野真龍作・無ら時雨(クリックで画像を拡大)
三代・俣野真龍作・無ら時雨(クリックで画像を拡大)
三代・俣野真龍作・無ら時雨(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その2)(2022.3.13)

古管であり、俣野真龍作の銘管、澄み切った音、柔らかい響き、今の時代の尺八では、まったく味わえない音味です。
無ら時雨に息を入れる(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その3)(2022.3.13)

この古管尺八は以前、ヤフオクで入手したもので、1尺5寸6分、重量230グラムです。東北の尺八で、歌口は鹿の角、上部は漆塗りです。東北の尺八は数本持っていますが、みな細身で、名人・小梨錦水師が、布袋軒鈴慕や産安の曲は、ふうわりと吹けと言っていたように、まさに息送りを我慢して、このような尺八にそっと息を入れて竹調から曲を立ち上げると、本当の曲の良さがわかります。いかに俣野真龍作の尺八が銘管であっても、息の入れ方が違うので、やはり東北の曲は、このような尺八でないと味わいが出ません。
東北の古管尺八(クリックで画像を拡大)
東北の古管尺八(クリックで画像を拡大)
東北の古管尺八(クリックで画像を拡大)
東北の古管尺八(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その4)(2022.3.13)

藤巻が素晴らしい(クリックで画像を拡大)
古管に息を入れる(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その5)(2022.3.13)

谷北無竹師の愛用されました、三代・俣野真龍作の露堂々という銘管(2尺1分)がありますが、同じような竹材で私が製作しました2尺1寸管、つぶれた断面の平竹なので、最初から音は良くなりますが、まったく味のない音が響きます。俣野真龍作の無ら時雨と吹き比べたら、音だけは大きいですが魅力は無し。地なし管の世界は出汁のきいた音味が大切、残念ながら大きな音だけが響くこの尺八は失格です。
平竹の2尺1寸管(クリックで画像を拡大)
平竹の2尺1寸管(クリックで画像を拡大)
平竹の2尺1寸管(クリックで画像を拡大)
2尺1寸管に息を入れる(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その6)(2022.3.13)

この地なし2尺2寸管は、錦風流尺八の名人でした、津軽弘前の折登如月作の尺八を参考に私が3年前に製作したものです。錦風流となると、コミ息が大切、それには、折登如月作のように、息受けが良いものでないとコミ息が出せません。私は錦風流用に、これまで数十本の尺八を製作しましたが、この5節の2尺2寸管の右に出るものはありません。いかに俣野真龍作の地なし管が素晴らしいと言っても、錦風流の曲を吹けば、思わず自分で笑ってしまいます。地なし管なら、なんでも錦風流の曲が吹けるわけではありません。本物を求めるには、道具から用意しないと無理なことです。
地なし管2尺2寸管(クリックで画像を拡大)
地なし管2尺2寸管(クリックで画像を拡大)
地なし管2尺2寸管(クリックで画像を拡大)
地なし管2尺2寸管(クリックで画像を拡大)

三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その7)(2022.3.13)

コロナの感染拡大と、母の闘病生活のために、岡山県高梁市の実家での長い生活が続いています。その間、毎日のように実家の工房で尺八製作をしてきました。実家の床にはたくさんの尺八が並びましたが、合格品はわずかで、不合格品ばかりが並んでいます。材質や姿では合格しても、地なし管として、曲の演奏がスムーズにできるかどうかが合否の判定基準、いかに無駄な仕事をしたかということ。商売ならば倒産します。
2尺2寸管に息を入れる(クリックで画像を拡大)
床に並ぶ尺八(クリックで画像を拡大)

初代・俣野真龍の地なし尺八(2022.2.17)

初代、俣野真龍(景久)寛政3~文久元(1791~1861)祖先は丹波国桑田郡千代田村北の庄 俣野五郎景向、当時90戸ばかりの村落で、80戸が俣野姓、その中で一族の総本家格であった。真龍は16歳の頃 京都に出て 御幸町通り綾小路丸山町に住んでいた。禁裏衛士・泉涌寺侍となり、明暗寺に出入りし、近藤宗悦とともに明暗の双璧といわれた名手であった。禁裏 勤番の折 一曲献奏したところ、仁孝帝の御意に預かり、真龍の竹号を賜った。一管を風月に託し、虚無僧として諸国を行脚し、勤王の士として国事に尽くした。文久8年頃作の尺八に、4穴~3穴間の裏に密書を封入し、漆で塗り込めたものがある。明暗尺八地なし管 第1級の名管の誉がある。(谷北無竹)
「明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管」門田笛空著より
写真は、初代・俣野真龍作の1尺8寸管で重量は339グラムあります。歌口部の直径は39mm、内径は24mmあります。7節の尺八です。
初代・俣野真龍作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
初代・俣野真龍作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
初代・俣野真龍作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
初代・俣野真龍作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)

大久保甲童作の地なし尺八(その1)2022.1.29

大久保甲童(大久保貞)師は明治16年(1883)長崎県生まれ。明治42年(1909)に琴古流・水野呂童師に入門、その後、琴古流尺八師範として、また琴古流尺八の製管師としても活躍されましたが、また、一方では明暗の地無し尺八も多数製管されました。大久保甲童師は大年13年関東大震災の後、大阪に転居されましたが、昭和7年に東京に住居を移されました。私の師匠、岡本竹外先生は生涯、大久保甲童作の地なし2尺3寸管を愛用され、尺八には蒼龍の銘を書かれていました。平成12年(2000)年に亡くなられた後は、明暗蒼龍会二代目会長の高橋峰外氏が令和3年(2021)亡くなるまで、この尺八を愛用されていました。私が岡本竹外先生に入門した頃、稽古の時に岡本先生から、大久保甲童作の尺八についての話を何度も聞きました。岡本竹外先生が大阪在住の桜井無笛師に入門されたのは昭和24年8月、その後、桜井無笛師宅に稽古に出かけた時に、大久保甲童師から、地なし2尺3寸管が製作できて届いたので、桜井無笛師は、2度ばかり息を吹き込んだ後、岡本君、これをあなたにあげるよと目の前に差し出されたとのこと。その尺八を受け取り、自宅に持ち帰ったが、何しろ鳴らないので大変だったようです。その後、小さな水牛の角の歌口の中側に、漆を1滴盛り付けたら、なんとか鳴るようになったそうです。それでも、琴古流尺八の製管師である大久保甲童師作なので、律が高いと岡本先生の口ぐせでした。入門した当時、石橋愚道氏は、大久保甲童作の尺八を基本に、自分で神奈川県の西部、日向薬師近くの竹藪で竹をもらったと、同じような地なし管を製作して、岡本竹外先生に見せていました。太くて、形の良い大久保甲童の地無し管、私も岡山県高梁市の実家に年末に帰省すると、大久保甲童作のような竹材を求めて山に入りました。そのような竹材を見つけて、地なし尺八を製作することが青春時代の目標でした。それから月日が過ぎ去り、力任せで吹いていた尺八、だんだんと長く太い尺八を製作するようになり、やっと岡本竹外先生から指導を受けた奏法が理解できるようになりました。口先の力を入れた、地付き管を力で大きな音を出して喜ぶ世界から、いかに遅い速度の息を出して、太い竹を鳴らすかという世界に移り、地なし管の息受けがいかに大切かを学びました。しかし、すでに岡本竹外先生は世を去り、報告も出来ませんでした。こうして、今日まで数百本の地なし管を製作してきましたが、姿形を求めるで無く、息受けの100点に近いものを求めています。
大久保甲童作を吹かれる岡本竹外先生(クリックで画像を拡大)
大久保甲童作を吹かれる高橋峰外氏(クリックで画像を拡大)

大久保甲童作の地なし尺八(その2)2022.1.29

今から6~7年前になるでしょうか。虚無僧研究会の献奏大会が法身寺で開催され、懇親会も終わりに近い頃、茶室での雑談中に、故・山田悠氏が2本の2尺3寸の地無し管を見せてくれました。1本は大久保甲童作、もう1本は西村虚空作でした。早速、2本の尺八の試し吹きをさせてもらいました。大久保甲童作は、琴古流式に吹いて鳴らす尺八なので、歌口の付近で大きな音がでましたが、息受けが無いので、当然、管尻の先から音を出すことは出来ませんでした。それに比べて、西村虚空作は、息受けが良くて、なんなく管尻の先から音を出すことが出来ました。水と油のような違いでした。まるで別物と山田悠氏に話すと、ここにたくさんの人が来ているが、そんなことわかるのは、あなたと私くらいかなと笑いました。大久保甲童作は売却、西村虚空作は自分の吹き料にするとのことでした。桜井無笛先生が新作の大久保甲童作を息を入れただけで、岡本竹外先生に贈呈した意味が、今になれば理解できます。桜井無笛作、門田笛空作の地無し管の息受けは、琴古流の尺八家には理解ができないでしょう。ここに、大久保甲童作の2本の尺八の写真を掲載しますが、まさに吹く奏法の地無し管と言えるでしょう。
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)

大久保甲童作の地なし尺八(その3)2022.1.29

岡本竹外先生も、あちこちを、いじくりながら我慢しながら愛用されたようで、中も手穴も改修の後が多く見られます。元が、吹く奏法で製作された地無し管、いまさら改修できる状況ではありません。やはり、桜井無笛師や門田笛空師が製作された息受けの良き地無し管を愛用する方がいいことではないでしょうか。
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)
岡本竹外先生愛用の地無し2尺3寸管(クリックで画像を拡大)

大久保甲童作の地なし尺八(その4)2022.1.29

大久保甲童師が昭和20年代に製作された地無し延べ管の1尺9寸管です。姿形は素晴らしいものですが、味わいの無い、大きな音が響きます。虚無僧本曲も、東北系の味がある曲を吹こうとしても、鳴りすぎてむなしい音が響くだけです。
大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)
大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)
大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)
大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)

大久保甲童作の地なし尺八(その5)2022.1.29

大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)
大久保甲童作の1尺9寸管(クリックで画像を拡大)

桜井無笛作の地なし尺八(その1)

地無し尺八を製作する上で参考にしている名管を紹介します。私の師匠、岡本竹外先生は、大阪の桜井無笛師の門下、稽古の時に岡本竹外先生宅で、桜井無笛師の尺八を拝見、私たち門下は、桜井無笛師の弟子、門田笛空師作の地無し管を購入して稽古に通いました。当時、岡本先生宅には多数の桜井無笛師作の地無し管がありましたが、私の先輩弟子が購入して吹いていました。その兄弟子たちも世を去り、その尺八はどのようになったのか、わかりません。桜井無笛師の尺八については、弟子の門田笛空師が「明暗尺八と桜井無笛先生の銘管」と題して本を出版されていますので、その中の一部を紹介します。
「桜井無笛先生作 銘管の銘管たるところ」
明暗双璧といわれた明暗第1級の銘管作者、近藤宗悦(文化五~慶應三 1808~1867)、俣野真龍(1791~1861)は、吹くことにかけても名人であった。このあと明暗地無し管の製管師は、二代俣野真龍(1842~1902)、林虎月(~明治38年)、伊東虎眼(~大正12年)、三代俣野真龍(~昭和11年)と続いた後、めぼしい製管師はいなくなった。桜井無笛先生は(明治26年~昭和36年)民謡のふるさと新潟市の生まれで、子供の頃から使用人の作った尺八で民謡を吹いていた。根っからの尺八吹きで、間のとりかた、音から音への移り具合に、巧まざる旨さがあり、同世代の人達から、天性的に旨かったとの思い出話がよく聞かれる。外国航路の機関長をしていたこともあって、製管の方も器用であった。現在では演奏者と製管師は分業化されているが、桜井先生は九州本曲界の大御所、中村掬風師の長管に魅せられて本曲に開眼し、その後、谷北無竹師について明暗対山派の真音吹きを研鑽し、吹く方の名人であるとともに、銘管の作者でもあった。写真の1は、桜井無笛作の2尺6寸管で重量は660グラムあります。歌口部の直径は50mm、内径は28mmあります。5節の尺八です。
写真の1(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の1(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の1(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の1(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)

桜井無笛作の地なし尺八(その2)

桜井先生の地なし管製作、次から次と仕上げる多作型ではない。そうかといって寡作でもない。明暗尺八を教えるかたわら一本一本着実に仕上げていた。昭和11年に、三代俣野真龍が亡くなった後、これといったじなし製管師はいなくなり、各地に地なし管を作る人はあったとしても、単に地なし管ですという程度の作品では、本格的な本曲用の尺八としては物足りなく、気に入るような本曲用の尺八は自分で作ってゆくことになった。写真の2は桜井無笛作の2尺3寸管で、昭和20年代の作品で、明暗蒼龍会二代目会長の故・高橋峰外氏が、昭和38年1月15日に入門された時に入手されたものです。藤巻は昭和42年に門田笛空師が巻かれたものです。管尻下部に、長さ調整の穴が2個あります。重量が522グラム、歌口の直径が46mm、内径が28mm
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)

桜井無笛作の地なし尺八(その3)

桜井先生の作品は、1尺6寸管から2尺8寸管までの各寸にわたっている。先生の手元には明暗古来の古管として、宗悦、古鏡などがあり、これらの銘管について、何が本物の音かじっくりと味わっておられた。真龍、虎眼なども見られていたが、細手のものが多く、最後まで残ったのは宗悦であり、宗悦特有の太めの作品を好まれていた。地なし管の製作に参考になる古管は、二尺ぐらいまであるが、二尺三寸以上になると古管は見当たらず、独自に開拓することになる。(幕末の頃の虚無僧は二尺八寸ぐらいまで吹いていた)桜井先生の製管で特異なところは、短管にも、長管にも銘管が残っていることである。このことは演奏の上でも、短管に向く曲、長管に向く曲それぞれに自由にこなしていたといえる。写真の3は桜井無笛作の2尺5寸管で、岡本竹外先生の吹き料で、岡本先生は腕が短いので、なんとか吹けるようにと桜井無笛師が工夫された尺八です。重量が516グラム、歌口部の直径が45mm、内径が30mmあります。籐巻は私がしました。
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)

桜井無笛作の地なし尺八(その4)

尺八づくりの基本
桜井先生は、尺八づくりについて、第一に竹そのものの柔らかい音色を尊重し、第二に竹材は自然状態の素材を可能な限り生かして、工夫をこらしている。竹そのものの柔らかい音色を生かすため、管内の凹凸は地(漆に砥の粉または石膏の粉を混ぜる)を使って、内壁を補修することはしない。地を使うと、竹そのものの柔らかい音色が消え、砥の粉または石膏の音が出て、一見華やかに聞こえるが、よく聞くと詰まったような音になっている。本曲用の尺八は、地なし管(内壁の仕上げは漆だけにする)に限ると言われているのは竹そのものの柔らかな音色を生かすことに主眼がある。地なし管は、節目を僅かに残すことにより、吹き込んだ息が節目を関門として、内壁の多少の凹凸をカバーして通過してゆくことになる。節目を残し過ぎると、息の通りを妨げることになり、つまり気味となる。内壁の盛り上がりが大きいと、節目でカバーしきれず、つまり気味となる。桜井先生の作品は節目の残し加減と、凹凸の修正具合をバランスよく保っている。銘管のなかには、節目をもう少し残しては、また内壁の凹凸をもう少し周世してはと思われるものもあるが、バランスよく剣が峰にとどめて、理想的な仕上がりとなっている。剣が峰にとどめるということは、竹そのものの柔らかい音色の追及は勿論であるが、単なる経験の積み重ねだけでなく、美学と見識でもある。素材が持っている特性を生かし、切れ味が良すぎるのを避けて、吹くほどに味わいが出てくるように工夫をしている。切れ味のよさは、吹き込みによって出せるもので、始めから切れ味の良すぎるのは、柔らか味の出しようがないとも言っておられた。銘管のよさは、各音のバランスがよく保たれ、のびやかでふっくらした音色をしていると言える。ふっくらした音色は計算して作るものではなく、素材をいかしているうちに、巧まずして、作らずして生まれるものと言える。写真の4は桜井無笛作(2尺1寸管)重量は414グラム、歌口部の直径が44mm、内径が26mm。
写真の4(2尺1寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺1寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺1寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺1寸管)(クリックで画像を拡大)

門田笛空作の地なし尺八(その1)

前回に続き、桜井無笛師の弟子、門田笛空師作の地無し尺八を紹介します。
「明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管」の記事の続きを掲載します。
「竹材」桜井先生は、銘管は資材のときから銘管の相をしているとよく言われた。音だけでなく、素材のときの姿・形からもよく見ていたといえる。外国航路の機関長をしておられ、国内各地の寄港地で、知人・友人も多く、いろいろな人達から尺八製作に向く竹材をおくられたり、竹藪を紹介してもらったりして、採集に出かけたりしていた。銘管の中には、谷狂竹師の最後を診られた、熊本県湯の前町仏跡、集光山五楽園の当主、椎葉亮雄氏(谷狂竹師の養子となり、徹泉と改名)から贈られた、岩のような竹材から、二尺五寸の豪管を作られている。また、友人の紹介で、奈良県柳生の里から更に奥に入った山里から採集した竹材から、二尺六寸の豪管を作られている。これらはかなりの難管と言われていたが、工夫をこらして銘管に仕上げている。竹材は丸くて真直ぐに伸びているものと思われているが、実際には玉子型、曲り、凹凸などがあって先差万別であり、理想的な形、寸法の竹材を見つけることは難しいことである。写真の1は、門田笛空作(2尺管・5節)籐巻で、重量が382グラム、歌口部の直径は42mm、内径は24mm。
写真の1(2尺管)(クリックで画像を拡大)
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写真の1(2尺管)(クリックで画像を拡大)
写真の1(2尺管)(クリックで画像を拡大)

門田笛空作の地なし尺八(その2)

(続き)
竹材は一般的には、全体の形から七節が良いとされているが、桜井先生は、素材によっては八節、六節場合によっては五節等も巧みに利用して仕上げている。定寸よりも短い竹でも、管尻の裏に調節穴を設けることによって、五節を六節~七節として、形を整えた作品もある。竹材の太さについては、それぞれの長さによりおよその太さは限定されるが、画一的な太さということはない。材の太さにより定寸を限定されず、節を抜いた状態の筒音によって長さを加減している。手穴の割り付けは、明暗古来の十割としているが、材の太さによって加減し、太さにより手穴の直径も1.2糎と指先の入るような太さもあり、状況によりいろいろと工夫をしている。材によっては縦型に波を打って曲がっているもの、横にくねくねと湾曲しているもの等常識からいって材料として扱っていないものでも、自然状態の素材を生かして活用している。例えば、縦型・横型に曲がっている材は、息の通りを考えて、節目の一部を上、下、左、右部分的に、多く残したり、少なく残したりして、素材を生かしてすっきりと仕上げている。(一尺八寸管の二つ判作品など)写真の2は門田笛空作(2尺3寸管)重量513グラム、歌口部の直径43mm、内径26mm。
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の2(2尺3寸管)(クリックで画像を拡大)

門田笛空作の地なし尺八(その3)

(続き)地なし管づくり
二代目を継いだあと、当面は先輩・同僚達と桜井無笛門下の本曲会を続けることになったが、急務として、これから明暗本曲を始める人達用に、地なし管を作ることになった。竹材の採集から、油抜き、乾燥、下ごしらえ、調律、籐巻き等の一貫作業を、師匠の残した銘管を参考にして、手探りの作業で、こればかりはそっくりさんどころではなかった。桜井先生が吹くことでも、作ることでも大きな存在であったことが、実感として迫ってきた。地なし管づくりは、実際にどれだけの数を作るか、いろいろな難度の高い材料で、調律の経験をどれだけ重ねるかにかかっている。良い作品が出来たとしても、1本だけではたまたまの僥倖にすぎない。同じ律の作品が次々と出来るようでなければ、本物とは言えない。新人用の一尺八寸を主に作っていた頃、良い材料に恵まれ、明暗双璧といわれた近藤宗悦作一尺九寸管の律に合うように作った、一尺九寸管が自身作になった。写真の3は門田笛空作の(2尺5寸管)重量626グラム、歌口部の直径45mm、内径29mm。
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の3(2尺5寸管)(クリックで画像を拡大)

門田笛空作の地なし尺八(その4)

(続き)
このあと、稽古には二尺三寸管を主に使うようになってきたので、桜井先生の作品と同じ様に、太くて、重い長管の材料を中心に集め、自信作の二尺五寸管、二尺六寸管が出来上がった。地なし管は竹そのものの柔らかい音色を生かすために、管内の仕上げは漆だけとし、調律には細心の注意を払うが、材料によっては苦心を重ねることになる。二尺一寸の長さで調律のバランスがうまくいかず手間どったが、桔局二尺三寸管として仕上がったものもある。同じ様に二尺三寸の長さで桔局二尺五寸管として仕上がったものもある。結果的には材料が太かったので、二寸長い律に調律出来るのか、これは長さと太さのバランスもあって、短管の場合は、難しいといえる。写真の4は門田笛空作の(2尺6寸管)重量800グラム、歌口部の直径52mm、内径32mm。籐巻は前川耕月:琴古流や都山流の尺八が中にすっぽりと入るような巨管ですが、息受けの良さと律の良さは、他の尺八を寄せ付けないぐらい素晴らしいものです。
写真の4(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)
写真の4(2尺6寸管)(クリックで画像を拡大)

福島夢外作の法竹(その1)2020.4.27

私の門下、横浜市在住で昨年7月に病気で他界されました斎藤保彦氏が所蔵していました福島夢外作の2尺5寸管の法竹です。斎藤氏は、生前に福島夢外師宅を訪問して入門をお願いしましたが、その時は福島夢外師は肺を痛めて、もう吹けないからと入門を断られました。この2尺5寸管の法竹だけ入手することができたとのことでした。後に竹友の故・山田虚悠氏がこの法竹を見たいとのことで、斎藤保彦氏から借用して山田氏に見てもらいました。山田氏の話では、福島夢外師は法竹を調律するため、木製のヘラのような道具で法竹の内部の要所を押さえて繊維をつぶしながら調律していたとのことでした。
歌口キャップ(クリックで画像を拡大)
歌口キャップ(クリックで画像を拡大)
歌口キャップ(クリックで画像を拡大)
2尺5寸の法竹(クリックで画像を拡大)

福島夢外作の法竹(その2)2020.4.27

私が40年くらい前に製作しました地無し2尺5寸管と寸法的には、ほぼ同じでした。斎藤氏と吹き合わせをしても律がピタリと合いました。さすがと思える法竹でした。福島夢外師は海童道老師の弟子でした。本物の道曲を吹くならば、このような道具でないと味わいが出ないでしょうね。
管尻部分(クリックで画像を拡大)
全体の姿(クリックで画像を拡大)
福島夢外氏の焼き印(クリックで画像を拡大)
全体の姿(クリックで画像を拡大)