弘前の旅の思い出アルバム(その2)
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弘前の旅(その1)(2013.10.10~10.14)

平成25年10月10日から14日まで弘前に出かけてきました。今回の旅の目的は青森県黒石市在住の民謡の尺八家・佐藤新子さんが友人からもらい所蔵していました工藤兵一氏の錦風流本曲譜と琴古流本曲譜を藤田竹心氏に寄贈したとのことで、中身の確認のために出かけました。また、藤田竹心氏に三内丸山遺跡、棟方志功記念館、八甲田山の雪中行軍遭難記念碑、紅葉の十和田湖を案内していただきました。
民謡尺八家・佐藤新子さん(クリックで画像を拡大)
工藤兵一氏の楽譜(クリックで画像を拡大)
尺八の歴史について(クリックで画像を拡大)
御家流尺八について(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2013.10.10~10.14)

この楽譜は明治35年弘前市生まれで、亀甲町で材木商を営んでいました工藤兵一氏が書き残されたもにです。工藤兵一氏は弘前市住吉町の住吉神社宮司(山村祐孝師・昭和29年11月30日没)から尺八を学ばれました。工藤兵一氏は平成11年に亡くなりました。
楽譜の錦風流及び琴古流本曲目録(第1巻)
一二三調、本調子・調、下り葉、松風の調、松風、三谷清攬、獅子、流し鈴慕、通里、門附、鉢返し、虚空、流し六段、宮城鈴慕、鶴の巣籠、夕暮の曲(大竹氏)、鹿の遠音(琴古)、三谷菅垣(琴古)、下野鈴慕(琴古)、鉢返し、調(曙調子)、下り葉(曙調子)、松風の調(曙調子)、松風(曙調子)、三谷清攬(曙調子)、獅子(曙調子)、流し鈴慕(曙調子)、通り(曙調子)、門附(曙調子)、鉢返し(曙調子)、流し六段(曙調子)、調(雲井調子)、下り葉(雲井調子)、流し六段(雲井調子)、三谷清攬(雲井調子)、奥州鈴慕、吉野鈴慕(琴古)、葦草鈴慕(琴古)、吟龍虚空(琴古)、下り葉の曲(琴古)、波間鈴慕(琴古)、鳳将雛(琴古)、京鈴慕(琴古)、盤渉調(琴古)、巣籠鈴慕(琴古)以上
尺八新造方法について(クリックで画像を拡大)
一二三調・調・下り葉・松風(クリックで画像を拡大)
獅子(クリックで画像を拡大)
虚空(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2013.10.10~10.14)

楽譜の錦風流及び琴古流本曲目録(第2巻)

宮城鈴慕、都楽関の曲、鶴の巣籠、調(本調子)、鹿の遠音(琴古)、志図ノ曲(琴古)、瀧落としの曲(琴古)、鈴慕流し(琴古)、一二三鉢返し(琴古)、鹿の遠音(琴古)、霧海じ鈴慕(琴古)、秋田菅垣(琴古)、虚空鈴慕(琴古)、転菅垣(琴古)、九州鈴慕(琴古)、目黒獅子(琴古)、真虚霊(琴古)、琴三虚霊(琴古)、本手調子(明暗)、虚空(明暗)、阿字観(明暗)、虚空(錦風流)以上
流し六段(クリックで画像を拡大)
宮城鈴慕(クリックで画像を拡大)
鶴の巣籠(クリックで画像を拡大)
鹿の遠音(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その4)(2013.10.10~10.14)

小野寺源吉師が弘前に伝えた鈴慕(宮城鈴慕)、鶴の巣籠があることから、折登如月師の系統であることがわかります。また明暗の阿字観や虚空は戦前に乳井建道師が弘前に持ち帰ったものでしょう。
曙調子の譜(クリックで画像を拡大)
鶴の巣籠壱段(クリックで画像を拡大)
鶴の巣籠弐段(クリックで画像を拡大)
秋田菅垣之曲(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その5)(2013.10.10~10.14)

10月11日、小雨の中を三内丸山遺跡を見学に出かけました。
三内丸山遺跡のパンフ(クリックで画像を拡大)
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その6)(2013.10.10~10.14)

三内丸山遺跡御見学の後、青森市内にあります棟方志功記念館を見学しました。
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)
三内丸山遺跡(クリックで画像を拡大)
棟方志功記念館(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その7)(2013.10.10~10.14)

悪天候の中、青森市内から八甲田経由で十和田湖に向かいました。雪中行軍遭難記念碑につくと、暴風雨で歩くのも大変でした。
雪中行軍遭難記念碑(クリックで画像を拡大)
雪中行軍遭難記念碑(クリックで画像を拡大)
雪中行軍遭難記念碑(クリックで画像を拡大)
後藤房之助伍長の像(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その8)(2013.10.10~10.14)

この日の宿泊は十和田湖レークサイドホテルでした。嵐のような天候なので、このホテルの宿泊客は、私の自宅近く、神奈川県相模原市から来られた年配の男性と私達の3名でした。
十和田レークサイドホテル(クリックで画像を拡大)
十和田湖(クリックで画像を拡大)
十和田湖(クリックで画像を拡大)
十和田湖観光船(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その9)(2013.10.10~10.14)

夕食の時間(クリックで画像を拡大)
夕食の時間(クリックで画像を拡大)
夕食の時間(クリックで画像を拡大)
夕食の時間(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その10)(2013.10.10~10.14)

奥入瀬渓流を見てから、有名な睡蓮沼の紅葉を見に立ち寄りましたが、青空から突然の豪雨となり、全身ずぶぬれになりました。車の暖房でなんとか弘前市内に着くころは衣類も乾燥しました。
朝の稽古(クリックで画像を拡大)
睡蓮沼の紅葉を見る(クリックで画像を拡大)
睡蓮沼の紅葉を見る(クリックで画像を拡大)
睡蓮沼の紅葉を見る(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2013.5.31~6.4)

今回の旅は、平成25年5月31日の朝、羽田空港から函館空港に空路移動をし、長堀孤雪氏が東京から稽古に通われました函館市の阿部孤鶴師の墓前にお参りし、夕方、函館から電車で弘前に戻り、さらに6月3日に仙台市に移動し、小梨錦水師、岡崎明道師の墓参りをし、最後は布袋軒最後の虚無僧、長谷川東学師の菩提寺、天台宗光禅寺が改築され落慶法要も終わったとのことで、お祝いを届け、翌日の6月4日に川崎の自宅に帰りました。
長堀孤雪氏の形見の看板(クリックで画像を拡大)
長堀孤雪氏の形見の看板(クリックで画像を拡大)
函館市内・谷地頭町の酒屋(クリックで画像を拡大)
阿部孤鶴師の自宅に向かう(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2013.5.31~6.4)

錦風流・津島孤松師の弟子:阿部孤鶴(凶介)師のこと。平成25年5月31日調査(北海道函館市訪問)。阿部凶介氏は明治30年生まれ。昭和54年没。阿部凶介氏について、函館在住の長女の方から話を聞くことが出来ました。阿部凶介氏は新潟県の生まれ、生まれた年は天候不順で作物は不作であったが、子供には禍がないようにと、両親が凶介という名前を付けたとのこと。錦風流尺八は昭和5年に青森市の津島孤松師に入門、昭和6年10月に免許皆伝となる。錦風流五調子、鶴の巣籠を伝承した。瀧谷治郎(孤瀧)氏は、この年に津島孤松師に入門をした。函館在住の阿部孤鶴師宅に東京から稽古に通った長堀榮次(孤雪)氏は昭和54年に免許皆伝となる。長堀孤雪氏から生前に、阿部孤鶴師直筆の五調子の楽譜を拝領しました。訪問した日は、阿部孤鶴師の仏前で、錦風流調を献奏させていただきましたが、長女の方から、お父さんが、いつも吹いていた曲で、昔を思い出したとのこと。今回は、折登如月作の1尺8寸管で献奏しましたが、その尺八を見た、長女から、お父さんの吹いた尺八はもっと長かったとのこと。当然、阿部孤鶴師は津島孤松師門下なので、折登如月作の太い2尺管を吹いていたので、私の尺八が小さく見えたのでしょう。また、阿部凶介氏は、琴古流尺八は、初代川瀬順輔師の弟子。作八の雅号は華堂。函館では、多くの弟子を育てて活躍、初代川瀬順輔、里子夫妻を、たびたび招いては、函館公会堂で三曲の演奏会を開催したとのこと。冬の雪が舞う函館公会堂で、川瀬順輔、里子夫妻の「雪」の演奏は、すばらしいものであったと、阿部凶介氏の長女は、なつかしそうに語られた。また、長堀孤雪氏の看板は、長堀氏が東京・木場で購入した板を風呂敷に包み持参したもの、すぐに父親の阿部孤鶴師が墨を用意して書き上げたとのことでした。長堀孤雪氏が入門した当時、すでに錦風流など習う人もなく、弟子はみな三曲合奏の人たちだったとのこと。今では、函館には阿部凶介(孤鶴。華堂)氏の伝承者はいません。さみしい限りである。帰りに長女の方から、錦風流尺八の看板を拝領しました。また、津島孤松師直筆の錦風流五調子の楽譜、5冊は阿部孤鶴師が亡くなったあと、長女の方が東京に出かけた折、法身寺の虚無僧研究会に寄贈したとのことでした。拝領しました看板、包むものもなく、チンチン電車、函館駅などで片手に看板を抱えていると昔の道場破りの映画のような姿、駅のホームで看板片手に記念撮影を頼まれたりで、弘前のホテルまで道中、恥ずかしい気持ちでした。
阿部孤鶴師の自宅(クリックで画像を拡大)
阿部孤鶴師の写真(クリックで画像を拡大)
琴古流の看板(クリックで画像を拡大)
錦風流の看板(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2013.5.31~6.4)

6月1日の朝、弘前グランドホテルでの朝食を済ませて、弘前公園に散歩に出かけました。すでに桜は終わっていましたが、公園から残雪の岩木山を眺めることが出来ました。その後、弘前図書館に立ち寄り、岡本竹外尺八随想集、虚無僧研究会の機関紙・一音成仏(私の錦風流歴史調査の記事が掲載されたもの)を寄贈しました。それから藤田竹心氏に合流して竜飛崎に向かいました。途中、岩木山麓では、野風パンの板垣氏が自宅近くの公園で出店していたので立ち寄りました。
岩木山を望む(クリックで画像を拡大)
弘前城(クリックで画像を拡大)
弘前図書館で(クリックで画像を拡大)
野風パンの板垣氏と(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その4)(2013.5.31~6.4)

板垣さん、藤田さんと(クリックで画像を拡大)
岩木山を背景に(クリックで画像を拡大)
高山稲荷神社の鳥居(クリックで画像を拡大)
高山稲荷(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その5)(2013.5.31~6.4)

高山稲荷を見た後、十三湖で有名なシジミラーメンを昼食に食べました。
高山稲荷の案内板(クリックで画像を拡大)
十三湖のラーメン店(クリックで画像を拡大)
竜飛崎を望む展望台(クリックで画像を拡大)
竜飛崎を望む展望台(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その6)(2013.5.31~6.4)

夕方、竜飛崎に到着し観光しました。
青函トンネルの工事場所(クリックで画像を拡大)
宿泊するホテル竜飛を望む(クリックで画像を拡大)
竜飛崎灯台(クリックで画像を拡大)
展望台からの眺め(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その7)(2013.5.31~6.4)

竜飛崎灯台(クリックで画像を拡大)
階段国道の案内板(クリックで画像を拡大)
有名な階段国道(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その8)(2013.5.31~6.4)

ホテル竜飛に宿泊、夕方は尺八の稽古をしました。
ホテルの夕食(クリックで画像を拡大)
ホテルの夕食(クリックで画像を拡大)
ホテルの夕食(クリックで画像を拡大)
夕暮れの竜飛崎(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その9)(2013.5.31~6.4)

6月2日の朝、朝食の後、ホテルのロビーの真下を青函トンネルが通っているので、電車が通過すると地の下から音が響いてきました。
朝の竜飛崎(クリックで画像を拡大)
ホテルの朝食(クリックで画像を拡大)
ホテルのロビーで(クリックで画像を拡大)
ホテルのロビーで(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その10)(2013.5.31~6.4)

ホテルのロビーで(クリックで画像を拡大)
宿泊したホテル竜飛(クリックで画像を拡大)
青函トンネルの体験坑道にケーブルカーで(クリックで画像を拡大)
青函トンネルの体験坑道にケーブルカーで(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その11)(2013.5.31~6.4)

体験坑道を見学の後、帰り道に新幹線の駅舎を工事中の今別駅に立ち寄りました。
地下坑道の観光(クリックで画像を拡大)
地下坑道の観光(クリックで画像を拡大)
本州最北端の駅、今別駅(クリックで画像を拡大)
本州最北端の駅、今別駅(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その12)(2013.5.31~6.4)

今別駅で8クリックで画像を拡大)
五能線の木造駅(クリックで画像を拡大)
五能線の特急橅が到着(クリックで画像を拡大)
五能線の特急橅が到着(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その13)(2013.5.31~6.4)

6月3日、弘前グランドホテルで朝食を済ませて、禅林街まで歩き、盛雲院の乳井月影師の墓前で献奏、さらに隣の正光寺で津島孤松師の墓前で献奏をしました。その後、在府町に立ち寄りました。在府町は、伴勇蔵師、乳井月影師、永野旭影、山形修助師などの錦風流の吹き手がいた町です。
乳井月影師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
乳井月影師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
在府町(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その14)(2013.5.31~6.4)

6月3日午前10時過ぎに弘前を出発、新青森駅で新幹線の乗り換えて、午後1時30分に仙台駅に到着しました。仙台駅で市営地下鉄に乗り換えて、愛宕橋駅で下車、徒歩で若林区荒町56の曹洞宗・昌伝庵を訪ねました。住職の案内で小梨錦水の墓前で献奏することが出来ました。
昌伝庵の山門(クリックで画像を拡大)
小梨錦水師の墓(クリックで画像を拡大)
小梨錦水師の墓(クリックで画像を拡大)
墓前で献奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その15)(2013.5.31~6.4)

その後、市営地下鉄に乗車、北仙台駅で下車、仙台市青葉区青葉町8-1にあります東昌寺を訪問、住職の案内で岡崎明道師の墓前で献奏することが出来ました。
岡崎家の墓(クリックで画像を拡大)
墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
岡崎家の墓(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その16)(2013.5.31~6.4)

虚無僧寺・布袋軒の最後の住職・長谷川東学の菩提寺・光禅寺が改築されました。新築祝いを届け内部を拝見させていただきました。前住職の奥さんは、隣の豊川稲荷を守るので曹洞宗の僧侶、息子さんは光禅寺を守るので天台宗の僧侶です。
改築された光禅寺(クリックで画像を拡大)
落慶法要の様子(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その17)(2013.5.31~6.4)

改築された天台宗・光禅寺(クリックで画像を拡大)
改築された天台宗・光禅寺(クリックで画像を拡大)
改築された天台宗・光禅寺(クリックで画像を拡大)
改築された天台宗・光禅寺(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その18)(2013.5.31~6.4)

6月3日の夜、仙台市にいる従妹に夕食をご馳走になり、ホテルに宿泊し、翌朝の新幹線で川崎の自宅に向かいました。
本堂の様子(クリックで画像を拡大)
庭の立ち木に彫刻をした(クリックで画像を拡大)
完成後は室内になった(クリックで画像を拡大)
室内の様子(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2012.9.7~9.10)

平成24年9月7日、川崎の自宅を午前7時に出発、東京駅から東北新幹線で新青森駅経由で弘前に午後1時に到着しました。今回の旅は、10月7日に虚無僧研究会の献奏大会が誓願寺で開催されるので、地元の世話役の代表、藤田竹心氏と最終の打ち合わせをするためでした。9月7日弘前市郷土文学館では長利仲聴の資料が展示されていました。この後、誓願寺に挨拶に出かけましたが、誓願寺本堂に掲げられています伴勇蔵先生の追善額、長利仲聴が書いたと言われていますが、その文章を小坂住職が活字化されて、来訪の方に差し上げているとのことで、その文章を掲載しました。
小坂住職の解説文(クリックで画像を拡大)
誓願寺本堂の錦風流額(クリックで画像を拡大)
長利仲聴展(クリックで画像を拡大)
長利仲聴展(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2012.9.7~9.10)

長利仲聴展(クリックで画像を拡大)
長利仲聴展(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2012.9.7~9.10)

9月7日は、弘前の隣、大鰐町にあります不二やホテルに藤田竹心氏を招待しました。このホテルは戦前に弘前の大家で自宅が全焼した、折登如月師が、夏になれば東京から、この不二やホテルに避暑に来ていたということです。このホテルのオーナーは美術品の蒐集家で、島津の大名籠が展示してありました。この大名籠の解説を記載しますと、NHKの大河ドラマで放送中の篤姫が夫家定公亡き後天璋院として大奥ですごしていた1867年、パリにおいて万国博覧会が開かれた。ナポレオン三世からの招聘をうけた日本国として江戸幕府が参加、出品したが、すでに倒幕の機運が盛り上がりつつあった篤姫の里薩摩藩も幕府に対抗して独自に参加、出品した。薩摩を紹介する工芸品など多数が出品されたが、その中に島津の大名籠があった。博覧会終了のその後その大名籠がどのような経緯を経たか不明であるが、1989年ニューヨークのクリースティーズのオークションに現れた。世界中からオーダーがあったが日本の杉山仁治氏が競り落とした。杉山氏は東京の自宅にそれを保管していたが、このたび青森県大鰐町の不二やホテルで展示し一般公開することになった。単なる運搬具でなく工芸品としても一級品である。保存状態もきわめてよく、諸藩において財政を立て直していた数少ない裕福であった国、薩摩藩の経済力を示す豪華絢爛たる一品である。
不二やホテルのパンフ(クリックで画像を拡大)
不二やホテルのパンフ(クリックで画像を拡大)
島津の大名籠(クリックで画像を拡大)
不二やでの夕食(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その4)(2012.9.7~9.10)

9月8日、ホテルの朝食のあと、大鰐町から大鰐スキー場に出かけました。山頂からの眺めは格別で岩木山も雄姿を見せていました。
不二やでの夕食(クリックで画像を拡大)
ホテルから大鰐スキー場を望む(クリックで画像を拡大)
大鰐スキー場からの眺め(クリックで画像を拡大)
岩木山を望む(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その5)(2012.9.7~9.10)

大鰐スキー場からの眺め(クリックで画像を拡大)
大鰐町の銘木(クリックで画像を拡大)
大鰐町の銘木(クリックで画像を拡大)
大鰐町大圓寺山門(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その6)(2012.9.7~9.10)

大鰐町から碇ヶ関の道の駅に立ち寄りました。珍しく自衛隊の車両が駐車場に数台到着、装甲車の隊員は、タイヤの釘を抜くのだとペンチを片手にタイヤの点検をしていました。
大鰐町大圓寺本堂(クリックで画像を拡大)
碇ヶ関・温泉施設もあり(クリックで画像を拡大)
装甲車の前で(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その7)(2012.9.7~9.10)

秋田県に入り、北秋田市で大太鼓の館では世界の民族楽器を見ることができました。ここには日本一の和太鼓が展示されていました。
大太鼓の館(クリックで画像を拡大)
日本一の和太鼓(クリックで画像を拡大)
展示品(クリックで画像を拡大)
外国の楽器(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その8)(2012.9.7~9.10)

北能代から五能線沿いに北に向かい白神山地の十二湖に向かう。
道路案内板(クリックで画像を拡大)
五能線の駅(クリックで画像を拡大)
海岸線の道路(クリックで画像を拡大)
白神山地の案内(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その9)(2012.9.7~9.10)

十に湖の案内図(クリックで画像を拡大)
白神山地(クリックで画像を拡大)
有名な青池(クリックで画像を拡大)
有名な青池(クリックで画像を拡大)

ついかの9

弘前の旅(その11)(2012.9.7~9.10)

昭和10年、昭和天皇の弟、秩父宮殿下が弘前歩兵31連隊に勤務することになり、その宿泊所は菊池別邸でした。その時に、錦風流尺八家の斎藤周童、山谷孤山師の二人が、御前演奏をしました。また、秩父宮殿下警護のために、写真の紺屋町臨時巡査派出所に、作家・寺山修司のの父、寺山八郎が巡査として勤務しました。この建物も、老朽化のために、昨年から改修工事が始まりましたが、原型を残して、復元工事が完了しました。下段の写真の道路を少し先に進み、右に曲れば、錦風流尺八の祖・伴勇蔵師の菩提寺・誓願寺があります。今年の10月7日は、この誓願寺で虚無僧研究会の献奏大会が開催されます。追記:地元の錦風流尺八家・高橋勝良さんから聞いた話では、自分の錦風流尺八の師匠・松山定之助氏は、桶職人であったので、秩父宮殿下が菊池別邸に宿泊された時の風呂桶を製作したとのこと。稽古の時に、松山定之助氏が口にしたのは、「火事になったら、秩父宮殿下の風呂桶を一番に持ち出すように」こう指示されていたようです。この菊池別邸も後に火事で焼失しています。
改修の終わった旧・派出所(クリックで画像を拡大)
新しい名前(クリックで画像を拡大)
旧・紺屋町消防屯所(クリックで画像を拡大)
改修の終わった旧・派出所(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その12)(2012.9.7~9.10)

9月9日、雨模様の中、弘前市郊外田舎館村に出かけ庁舎屋上展望台から田圃アートを見学しました。
田圃アート(クリックで画像を拡大)
田圃アート(クリックで画像を拡大)
田圃アート(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その13)(2012.9.7~9.10)

9月9日、最後の観光は平川市猿賀の国指定名勝・盛美園を見学しました。小雨の中、広い庭園と本館は1階が和装、2階が洋装の珍しい建築でした。仏間も拝見できましたが、黄金の見上げる様な仏壇でした。
盛美園パンフ(クリックで画像を拡大)
盛美園入口(クリックで画像を拡大)
広い庭園(クリックで画像を拡大)
和洋の建物(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2012.5.11~5.14)

虚無僧研究会献奏大会が、平成24年10月7日に弘前誓願寺で開催することになり、事前にPRを兼ねて、虚無僧研究会の小菅会長、幹事の阿部氏と平成24年5月11日に弘前を訪問しました。弘前市役所では、市長室に葛西市長を訪問し、地無し3尺管の演奏を聞いていただきました。
市長室で演奏(クリックで画像を拡大)
市長室で演奏(クリックで画像を拡大)
葛西市長に献奏会の説明(クリックで画像を拡大)
葛西市長に献奏会の説明(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2012.5.11~5.14)

その後、浄土宗誓願寺を訪問しました。誓願寺には、錦風流尺八の祖・伴勇蔵建之師の墓もあり、本堂には伴勇蔵師をたたえ、明治20年に地元の錦風流尺八家・50名が名前を連ねた額も掲げられています。また、弘前城や弘前の町並みを風水などの知識で決めたと言われています軍師・沼田面松斎の墓もあります。誓願寺にあります錦風流尺八の祖・伴勇蔵建之師の墓前で、阿部敏行氏が献奏をしました。その後、誓願寺客殿にて、10月の献奏大会について、小坂住職との打ち合わせをさせていただきました。
誓願寺山門(クリックで画像を拡大)
誓願寺庭にて(クリックで画像を拡大)
伴勇蔵の墓で献奏(クリックで画像を拡大)
小坂住職との打ち合わせ(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2012.5.11~5.14)

平成24年5月11日、虚無僧研究会の小菅会長、幹事の阿部敏行氏と、虚無僧研究会の献奏大会を秋に弘前誓願寺で開催するために、弘前に出かけました。地元の錦風流県技芸保持者・平尾雄三氏、藤田竹心氏・板垣孝尚氏には、大変お世話になりました。11日の夜は、平尾雄三氏宅において歓迎会を開催していただきましたが、その席に、近所の錦風流尺八家・三戸建次氏が出席されましたが、三戸氏が、秩父宮殿下の前で御前演奏をしました、斎藤周童氏が愛用されました、錦風流二尺管を持参され、拝見することができました。この尺八は地無し延べの二尺管です。箱書きには、秩父宮殿下御手付之笛と書かれています。この尺八には、作者の銘がありませんが、おそらく折登如月作でしょうか。御前演奏で一緒に演奏されました、山谷孤山(義雄)氏の尺八は、折登如月作、地付き中継ぎの二尺管で、如月の焼き印がありました。津軽弁で吹く、錦風流には、このような道具が必要です。
平尾雄三氏の薩摩琵琶(クリックで画像を拡大)
斎藤周童氏愛用の尺八(クリックで画像を拡大)
斎藤周童氏愛用の尺八(クリックで画像を拡大)
夕食会(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その4)(2012.5.11~5.14)

この日は、野風パン工房の板垣氏が、私たちを青森観光に車で連れていってくれました。五所川原市の立佞武多館を見学し、昼食の後、太宰治の斜陽館を見学し、青森市内に移動して青森ねぶたのワ・ラッセを見学しました。
五所川原の立佞武多の館(クリックで画像を拡大)
五所川原の立佞武多の館(クリックで画像を拡大)
青森のワ・ラッセにて(クリックで画像を拡大)
青森のワ・ラッセにて(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その5)(2012.5.11~5.14)

夕食は市内の料亭で地元で有名な田酒や大間のマグロ料理を板垣さんにご馳走していただきました。
大間のマグロ(クリックで画像を拡大)
夕食会(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その6)(2012.5.11~5.14)

小菅会長、阿部敏行幹事が東京に帰られたので、朝から晴天のこの日は、岩木山麓の野風パン工房の板垣さんを訪問し、3尺管で稽古をしました。山桜の咲く、さわやかな時期ですが、カメムシも繁殖して要注意です。
残雪の岩木山(クリックで画像を拡大)
3尺管での稽古(クリックで画像を拡大)
3尺管での稽古(クリックで画像を拡大)
野風パン工房(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その7)(2012.5.11~5.14)

野風パン工房での稽古の後、同じく岩木山麓の別荘地にあります、佐藤初女さんの森のイスキアを散策しました。近くの林には、水芭蕉や座禅草が咲いていました。
野風パン工房の風景(クリックで画像を拡大)
森のイスキヤ(クリックで画像を拡大)
森のイスキヤ(クリックで画像を拡大)
岩木山麓の水芭蕉(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その8)(2012.5.11~5.14)

岩木山麓から弘前市内のリンゴ公園に移動して昼食の後、この日はねぷたや津軽三味線の演奏、岩木山神社のお山参拝などたくさんのイベントがありました。
お山参拝の行列(クリックで画像を拡大)
赤平氏は幟持(クリックで画像を拡大)
お山参拝の行列(クリックで画像を拡大)
お山参拝の行列(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その9)(2012.5.11~5.14)

舞台では津軽民謡の歌や踊りがありました。津軽三味線の名手・渋谷和生氏も門下の方々と演奏されました。
津軽三味線の名手・渋谷氏と(クリックで画像を拡大)
民謡の美人と(クリックで画像を拡大)
小原節を聞く(クリックで画像を拡大)
古民家で献奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2011.11.4~11.7)

今回の弘前の旅、11月4日の朝午前7時に自宅を出発、東京駅から東北新幹線はやてに乗車、新青森経由で弘前駅に午後12時42分に到着しました。弘前公園では菊祭りが開催されていました。弘前公園を散策の後、午後6時前に五所川原在住の斎藤氏が井上重美作の尺八を所蔵しているとのことで、役所の勤務が終わり次第、弘前の藤田竹心氏宅に尺八を持参してくれるとのことで、待機していたら午後6時前に到着しました。地元の町長は琴古流江雲会所属で、この尺八を愛用していたとのことでした。錦風流4代宗家の井上重志氏は製管わされていましたが、自分の父親(井上重美作)の尺八を所蔵していないとのことで、以前、岡本竹外先生が愛用していました井上重美作の尺八を拝見に、岡本先生宅に来られたことがありました。11月5日は、弘前公園を散策の後、紅葉の十和田湖や奥入瀬渓流の紅葉をながめ、帰りにはライトアップされた中野の紅葉を見て弘前に帰りました。11月6日は、禅林街に移動し、盛雲院で乳井月影師の墓前献奏、さらに隣の正光寺で津島孤松師の墓前献奏の後、新寺町に出かけ、内山嶺月先生、後藤清蔵先生の墓前で献奏の後、岩木山経由で深浦町に出かけました。弘前の九代藩主・寧親公の命で一月寺に入門しました吉崎八弥は、弘前の戻ったのち、この深浦奉行を勤めていました。真言宗・圓覚寺や北前舟が寄港した深浦港を観光しました。11月7日にホテルで朝食後、弘前公園を散策して、午前10時に電車で帰途につきました。帰りに藤田竹心氏が修理した井上重美作(2つ印)の1尺9寸管を土産にいただきました。
井上重美作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
井上重美作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
井上重美作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)
井上重美作の1尺8寸管(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2011.11.4~11.7)

弘前公園では菊祭りが開催されていました。
菊祭り(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2011.11.4~11.7)

弘前公園からの岩木山(クリックで画像を拡大)
十和田湖の眺め(クリックで画像を拡大)
十和田湖の眺め(クリックで画像を拡大)
十和田湖の眺め(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その4)(2011.11.4~11.7)

乙女の像(クリックで画像を拡大)
紅葉の奥入瀬渓流(クリックで画像を拡大)
乳井月影師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その5)(2011.11.4~11.7)

内山嶺月師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
内山嶺月師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
後藤清蔵師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
深浦の円覚寺(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その6)(2011.11.4~11.7)

深浦の円覚寺(クリックで画像を拡大)
深浦の円覚寺(クリックで画像を拡大)
深浦の円覚寺(クリックで画像を拡大)
深浦の港(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その7)(2011.11.4~11.7)

深浦の帰りに鯵ヶ沢の秋田犬・わさおを見に立ち寄りましたが、留守で大きな猫が留守番していました。
深浦の港(クリックで画像を拡大)
鯵ヶ沢・菊屋のわさお(クリックで画像を拡大)
この日は猫が留守番(クリックで画像を拡大)
鯵ヶ沢・菊屋のわさお(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その8)(2011.11.4~11.7)

弘前最後の朝、ホテルでの朝食を済ませて、弘前公園の菊祭りを見た後、10時の電車で帰途につきました。
紅葉の弘前公園(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)
菊祭り(クリックで画像を拡大)