津島孤松師のアルバムより(その1)
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津島孤松師のアルバムより(その1)2020.5.7

青森市内で錦風流尺八の弟子を数多く輩出しました、津軽3名人の一人、津島孤松師は昭和7年10月4日に胃がんのために亡くなり、遺骸は青森市内の曹洞宗・常光寺に埋葬されました。弘前の津島六奥氏のお母さんは、津島孤松師が亡くなったあと、形見に尺八2本と楽譜、さらに孤松師のアルバムを弘前の自宅に持ち帰りました。その楽譜やアルバムが、津島孤松師の甥っ子の津島六奥氏の庭の物置に長年眠っていましたが、私が津島六奥氏にお願いして、その楽譜やアルバムを見ることができました。津島六奥氏からの依頼で、古いアルバムの写真をきれいに修正させていただきました。今では、津島孤松師の立派な写真が津島六奥氏の仏間に飾られています。明治時代に士族の方々を弟子に迎えて、活躍されました津島孤松師、その時代の稽古風景など、参考にしていただけたらと写真を掲載しました。
上段の津島孤松師の写真、床の尺八棚には、折登如月作の名管が並んでいます。その中には、桜井無笛師が籐巻していたものと同じ形の籐巻の尺八が置いてあります。
津島孤松師(クリックで画像を拡大)
津島孤松師と弟子(クリックで画像を拡大)
後列右から二人目が小野清作氏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師と弟子の方々(クリックで画像を拡大)

津島孤松師のアルバムより(その2)2020.5.7

(その1)の4枚目の写真、後列右から二人目は小野清作氏、その小野清作氏が成長して、下の明治41年1月30日の写真では小野清作社中として中央に小野清作氏が左に猿賀神社宮司になりました山谷義雄氏で右側は岡本不二男氏、当時18歳です。
明治41年1月30日撮影・小野清作社中(クリックで画像を拡大)
佐藤氏と秋元氏(クリックで画像を拡大)
稽古風景(クリックで画像を拡大)
津軽郁田流との合奏(クリックで画像を拡大)

津島孤松師のアルバムより(その3)2020.5.7

乳井建道師の本曲余談によれば、(明治27年頃)当時の津島孤松は年齢三十六歳前後の血気の人で竹も実に良く鳴ったと云うが然し、先年七十四歳の孤松翁に会って見ると、すっかり老体となり又昔日の面影がなかった。孤松翁云うに、自分は三十四五歳の頃、月影先生が青森へ来られたと云ふ話を聞いて、是非共と1週間計り滞在を願ひ稽古をつけて貰ったことがある。向ふは六十歳の老体であるし、まけるものかと、ふん張って吹いた。初めは向ふは一向鳴って居ない様な気がして居た。処が二曲、三曲と曲が進行するに従ひ、自分の音が細く細く貧弱に自分の耳に入り、先生の音が次第に太く雄大に自分に逼迫して来る。終わりにはへとへととなって了つたと云う事がある。月影翁の音は雄大で業は大業であったと云ふ。
孤松師と翠村氏(クリックで画像を拡大)
津島孤松社中(クリックで画像を拡大)
津島孤松社中(クリックで画像を拡大)
津島孤松社中(クリックで画像を拡大)

津島孤松師のアルバムより(その4)2020.5.7

津島孤松師と野口氏(クリックで画像を拡大)
津島孤松社中(クリックで画像を拡大)
野口氏と夫人の合奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の三曲合奏(クリックで画像を拡大)

津島孤松師のアルバムより(その5)2020.5.7

津島孤松師社中の山遊び(クリックで画像を拡大)
津島孤松師社中の山遊び(クリックで画像を拡大)
津島孤松師社中の山遊び(クリックで画像を拡大
津島孤松師の弟子たち(クリックで画像を拡大)