清夾枯淡(石綱清圃氏筆)(その1)
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清夾枯淡(石綱清圃氏筆最終回)(その1)

清夾枯淡の続き30ページの対山先生伝のところから最後までを掲載します。
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清夾枯淡(石綱清圃氏筆最終回)(その2)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第3回)(その1)

清夾枯淡の続き19ページの稲垣国手先生のところからを掲載します。
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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第3回)(その2)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第3回)(その3)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第2回)(その1)

清夾枯淡の続き10ページの竹外先生のところからを掲載します。
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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第2回)(その2)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第2回)(その3)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第1回)(その1)

石綱清圃氏の書かれた清夾枯淡の記事の一部を掲載します。
石綱清圃氏の思い出
石綱清圃氏に最初にお会いしたのは、設立間もないころ、虚無僧研究会の役員会だと思います。栃木なまりの言葉で、眼鏡にはレンズがなく、なかなかおしゃれな人物でした。仕事は栃木県鹿沼市で青果市場の社長とのことでした。特に印象に残っているのは、平成元年9月、奈良県十津川村まで虚無僧研究会で献奏旅行をした時、東京駅前から夜10時ころに観光バスで奈良県に向けて出発しましたが、車中で私の後ろの席は、石綱先生と岡本竹外先生、楠正勝についの談義は、夜中も終わることなく、とうとう夜が明けてしまいました。石綱先生は、明暗蒼龍会にも客員として参加されました。この頃は、小菅大徹会長、島村玄冲顧問、さらに山口県からは客員として藤田正治氏先生も出席されました。石綱先生の虚無僧姿は、天蓋で顔が見えなくても、赤い袈裟ですぐにわかりました。晩年、石綱先生は虚無僧史の研究に没等されましたが、楠正勝伝の執筆中に胃がんとなり、原稿も完成をみず他界されました。胃がんの手術の後も、明暗蒼龍会総会に出席していただきましたが、体は痩せて、好きな酒も口にされませんでした。その会が永久の別れになりました。思い出の一つに、法身寺での虚無僧研究会の役員会の席で小菅会長から、私に谷耕月老師の額に入った書があるが、あなたと同じ耕月なのでどうですかと言われました。それではと返事をすると、横にいました石綱先生が、これは私に譲って下さいとのこと。先輩の顔をたてて譲りました。石綱先生の話は、栃木なまりで、人を誘い込むような話し方、まるで講談を聞いているようでした。役員会のたびに、石綱先生の話を聞くのが楽しみの一つでした。
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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第1回)(その2)

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清夾枯淡(石綱清圃氏筆第1回)(その3)

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