弘前の旅
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弘前の旅(2016.10.15)岩木山百沢・野風パンにて(その1)

10月15日の昼過ぎ、弘前到着後、岩木山山麓・百沢の野風パン工房を訪問し、午後3時より6時まで、門下・板垣氏に尺八の指導をしました。大自然の中での地無し管の響きは、自然に溶け込んでいくようでした。胸式呼吸になりがちですが、逆複式丹田呼吸法により、太い地無し長管を鳴らす奏法、いかに吹かないで我慢と辛抱で空気砲を鳴らすかの確認でした。
野風パン工房で板垣氏と(クリックで画像拡大)
野風パン工房で藤田竹心氏と(クリックで画像拡大)
野風パン工房での稽古(クリックで画像拡大)
野風パン工房での稽古(クリックで画像拡大)

弘前の旅(2016.10.15)岩木山百沢・野風パンにて(その2)

日没後は、ログハウス内で午後6時まで稽古をして、月夜の中、広大な畑のリンゴを見ながら、弘前の町に戻りました。
野風パン工房での稽古(クリックで画像拡大)
野風パン工房での稽古(クリックで画像拡大)
夕方の岩木山を望む(クリックで画像を拡大)
野風パン工房での稽古(クリックで画像拡大)

弘前の旅(2016.10.16)弘前市観光館ホールでの演奏会(その1)

10月16日、午後6時30分より弘前市観光館多目的ホールで古典尺八と根笹派錦風流尺八演奏会が開催されました。前半の演奏は地元弘前市の錦風流尺八伝承会の皆さんの演奏。
1.古典尺八曲「調子」全員での合奏
2.呼び竹ー高橋濤月  受け竹ー全員
3.錦風流「調・下リ葉」 全員
4.錦風流「松風調べ・松風」-藤田竹心
5.「三谷清攬」-高橋濤月
後半「古典尺八演奏とお話」は前川耕月が担当しました。
6.「阿字観」地無し3尺管
7.小野寺源吉傳・鶴の巣籠 地無し1尺6寸管
8.布袋軒産安・竹調べ 地無し2尺管(古管)
9「神保三谷」 地無し2尺7寸管
10.「越後鈴慕・鉢返し」 地無し2尺3寸管
演奏会会場案内板(クリックで画像を拡大)
尺八体験コーナー(クリックで画像を拡大)
開場前の打ち合わせ(クリックで画像を拡大)
藤田竹心氏の挨拶(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2016.10.16)弘前市観光館ホールでの演奏会(その2)

錦風流尺八県技芸保持者の藤田竹心氏が平成22年に立ち上げました錦風流尺八伝承会、私が地元に残る、折登如月作の太い地無し2尺管を参考に、会員の皆さんが稽古に使用する尺八を製作して、提供しました。今回の皆さんの合奏の音味は、柔らかくて素晴らしい響きでした。
錦風流伝承会の皆さん(クリックで画像を拡大)
受け竹の演奏(クリックで画像を拡大)
調・下リ葉の合奏(クリックで画像を拡大)
藤田竹心氏の松風演奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2016.10.16)弘前市観光館ホールでの演奏会(その3)

猿賀神社の宮司・山谷孤山師は、秩父宮殿下が弘前滞在中に宿泊先の菊池別邸に於いて、斉藤周童師と錦風流尺八本曲を披露しました。その孫にあたる、現在・猿賀神社宮司の山谷敬氏の要望により、高橋濤月は、御前演奏に使用されました、山谷氏所蔵の折登如月作2尺管で、三谷清攬の曲を演奏され、会場に来られた山谷夫妻は大変に喜ばれました。
顧問の津島孤風氏を中心に記念写真(クリックで画像を拡大)
高橋濤月氏の三谷清攬(クリックで画像を拡大)
前川耕月の挨拶(クリックで画像を拡大)
前川耕月の阿字観(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2016.10.16)弘前市観光館ホールでの演奏会(その4)

地無し管の生演奏、マイクも使用しないで、それぞれの尺八の音味の違いを皆さんに聞いていただきました。
小野寺源吉傳鶴の巣籠演奏(クリックで画像を拡大)
布袋軒産安・竹調べ演奏(クリックで画像を拡大)
神保三谷演奏(クリックで画像を拡大)
越後鈴慕・鉢返し演奏(クリックで画像を拡大)

弘前からの便り(2016.9.18)

古典尺八と錦風流尺八演奏会のお知らせ。
平成28年10月16日(日)午後6時30分より午後8時まで、弘前市立観光館多目的ホールにおいて、地元の錦風流尺八家・県技芸保持者 藤田竹心氏の主催で錦風流尺八演奏会が開催されます。錦風流尺八伝承会の皆さんと私が賛助出演します。
演奏会パンフレット(クリックで画像を拡大)

弘前からの便り(2016.8.21)

青森県弘前市錦風流伝承会の高橋壽月氏より手紙にて、市内のギャラリ森山で8月1日から31日まで「幽霊展」と題して、幽霊画を集めた展示会が開催され、初日の御供養の読経に続いて、高橋壽月氏が錦風流本曲を献奏されました。NHK弘前放送局では、この様子がニュースで放送されました。
錦風流本曲を献奏される高橋壽月氏(クリックで画像を拡大)
錦風流本曲を献奏される高橋壽月氏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その1)

5月12日(木)弘前訪問の夕方、岩木山麓の野風パンを訪問し、久々に板垣氏と耕月会の課題曲の稽古をしました。また夕食は、近くにあります岩木荘のレストランで藤田竹心氏と一緒に御馳走になりました。板垣氏も耕月作の地無し3尺管の音味を出せるようになりました。稽古は午後10時に終わりましたが、外はさすがに寒く感じました。 
板垣氏の野風パン工房とログの喫茶室(クリックで画像を拡大)
耕月会の課題曲の内容を説明する(クリックで画像を拡大)
板垣氏の3尺管演奏(クリックで画像を拡大)
夕食会:左が藤田竹心氏、右が板垣孝尚氏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その2)

5月14日(土)午後3時より6時まで、弘前市青少年センターの音楽室にて、地元錦風流伝承会の皆さんの研修会が開催されました。私が太い地無し管を丹田力で鳴らす奏法の指導をしました。錦風流は波浪息が基本なので、口先で吹く奏法では、風きり音が出るので、これを無くするための稽古でした。
皆さん、普段からの稽古で、地無し管を鳴らす奏法が身についてきました。 
音楽教室での研修(クリックで画僧を拡大)
地無し3尺管での丹田奏法(クリックで画僧を拡大)
赤平氏は3尺管を見事に鳴らします(クリックで画僧を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その3)

5月15日(日)白神山地に完成した津軽ダムに向かう途中、西目屋村に建てられました、すばらしい施設、白神山地ビジターセンターの敷地内で木彫りの芸術家・向井勝實氏との出会いがありました。今回の作品は、西目屋村村長の依頼で、栃木県那須から運んできました孟宗竹を使用し、長さ26mの巨大な飛行船のような作品を製作中でした。また、向井氏より、これまで海外に出かけて製作しました大木の彫刻作品のアルバムも拝見することができました。今月末にこの竹の作品も完成させ、今度はベトナムに3か月出かけるとのことでした。津軽ダムに向かう途中の川岸にも向井氏が以前に製作された木彫りの作品がありました。 
地無し3尺管を向井氏に披露する(クリックで画像を拡大)
右が向井勝實氏(クリックで画像を拡大)
向井氏の作品アルバム(クリックで画像を拡大)
西目屋村に展示する巨大な竹の作品(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その4)

津軽ダムに向かう途中、乳穂ケ滝に立ち寄り、献奏しました。この滝は落差33mで冬季に氷瀑がすばらしい姿を見せてくれます。また、この滝の近くの川岸には向井勝實氏の作品がありました。完成した津軽ダムは落差100mあり、以前あった目屋 ダムは、津軽ダムの上流60mに水没しています。
乳穂ガ滝で献奏(クリックで画像を拡大)
向井勝實氏の作品(クリックで画像を拡大)
向井勝實氏の作品(クリックで画像を拡大)
完成した津軽ダム(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その5)

津軽ダムを見た帰りに、再度白神ビジターセンターに立ち寄りました。西目屋村観光課の職員の方も、向井勝實氏の竹材加工の手伝いをしていました。
製作途中の竹の輪を庭木に立てかけた舞台で、みなさんに3尺管で阿字観の演奏を
聞いていただきました。こんな自然環境では、地無し管の柔らかい音味が溶け込んでいくようです。 こんな風の吹く環境では、口先で尺八を吹いても音にはならない。やはり丹田の力で鳴らすことが重要であることがわかる。
津軽ダムの放流(クリックで画像を拡大)
向井氏の作品の前で演奏する(クリックで画像を拡大)
向井氏の作品の前で演奏する(クリックで画像を拡大)
向井氏の作品の前で演奏する(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その6)

桜の花も終わり、新緑に覆われた弘前公園の早朝。石垣の改修工事の為に移動した弘前城の様子。また、リンゴ公園はリンゴの白い花も咲いて、背景に残雪の岩木山がすばらしい姿を見せていました。
天守閣が移動した石垣(クリックで画像を拡大)
現在の弘前城天守閣(クリックで画像を拡大)
現在の弘前城天守閣(クリックで画像を拡大)
リンゴ公園からの岩木山(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(平成28年5月12日~16日)(その7)

5月16日(月)弘前最後に日の早朝に、禅林街・盛雲院にあります錦風流初代宗家・乳井月影師と同じ墓に眠る孫で、小野寺源吉師に鶴の巣籠の名人でした乳井建道師の墓前で献奏をして、隣の正光寺に移動し、乳井月影師の弟子であった、津島孤松師の墓前でも献奏をして、弘前駅に向かい帰宅の途につきました。今回の旅での地元の竹友、藤田竹心氏に大変お世話になりました。
盛雲院の墓地・乳井家の墓(クリックで画像を拡大)
乳井家の墓に献奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓に献奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓に献奏する藤田竹心氏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2015.10.11~10.15)

錦風流尺八の地元、弘前での錦風流尺八伝承会に皆さんの研修会が10月14日の夕方5時より開催されました。 伝承会の皆さんは、私の製作しました地無し2尺管を使用しています。写真の前面に、折登如月作の地付き、中継ぎの2尺管がありますが、地無し管との合奏になれば、地の付いた尺八の響きの悪い音味が混ざり、不快に聞こえてきます。
錦風流伝承会の皆さん(クリックで画像拡大)

弘前の旅:津軽軍師・沼田面松斎顕彰会(1)(2014.10.13)

平成26年10月13日(祝)弘前市誓願寺において、弘前藩・初代藩士・津軽為信公の軍師であり、風水、易学に通じ、津軽の要にふさわしい弘前城と町割りの場所選定に多大な功績を残した、沼田面松斎顕彰会の第4回目が、開催されました。今回の記念講演は、私が担当をしました。タイトルは「津軽に伝わる武士の音楽」と題して、講演と尺八演奏をしました。
誓願寺本堂横の墓地にて(クリックで画像を拡大)
沼田面松斎のお墓(クリックで画像を拡大)
沼田面松斎の墓に3尺管で献奏する(クリックで画像を拡大)
本堂にて、阿字観の献奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅:津軽軍師・沼田面松斎顕彰会(2)(2014.10.13)

地元弘前に伝わる根笹派・錦風流尺八の歴史と、誓願寺本堂にあります錦風流尺八の祖・伴勇蔵建之師の功績をたたえる額について、出席された方々に説明をしました。 また、錦風流尺八本曲、調、下り葉の曲を地元の錦風流伝承会の藤田竹心氏、高橋勝良氏に演奏していただきました。懇親会では、錦風流伝承会の顧問・津島孤風氏を中心に歓談をしました。
本堂での講演(クリックで画像を拡大)
藤田竹心、高橋勝良氏による錦風流調、下り葉の献奏(クリックで画像を拡大)
2尺5寸管による奥州薩字の演奏(クリックで画像を拡大)
講演の後、本堂での懇親会(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2012.5.11~5.14)

虚無僧研究会献奏大会が、10月7日に弘前誓願寺で開催することになり、事前にPRを兼ねて、虚無僧研究会の小菅会長、幹事の阿部氏と平成24年5月11日に弘前を訪問しました。弘前市役所では、市長室に葛西市長を訪問し、地無し3尺管の演奏を聞いていただきました。また、誓願寺では小坂住職と、詳細の打ち合わせもさせていただきました。浄土宗誓願寺には、錦風流尺八の祖・伴勇蔵建之師の墓もあり、本堂には伴勇蔵師をたたえ、明治20年に地元の錦風流尺八家・50名が名前を連ねた額も掲げられています。また、弘前城や弘前の町並みを風水などの知識で決めたと言われています軍師・沼田面松斎の墓もあります。
市長室で3尺管を披露(クリックで画像を拡大)
誓願寺山門は重要文化財(クリックで画像を拡大)
誓願寺の庭で(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2012.5.11~5.14)

誓願寺にあります錦風流尺八の祖・伴勇蔵建之師の墓前で、阿部敏行氏が献奏をする。その後、誓願寺客殿にて、10月の献奏大会について、小坂住職との打ち合わせをする。誓願寺での用件も済み、平尾雄三氏宅で歓迎をしていただきました。
献奏する阿部敏行氏(クリックで画像を拡大)
誓願寺での打ち合わせ(クリックで画像を拡大)
平尾雄三氏宅での歓迎会(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その3)(2012.5.11~5.14)

平成24年5月13日、前日の冷たい雨降りの天候から、この日は、快晴の天候になりました。岩木山山麓にあります、ログハウスのパン工房・野風パンの板垣氏宅を訪問しました。裏山の桜はまだ咲いていました。この素晴らしい環境の中で、板垣氏と3尺管での稽古をしました。野風パンは、テレビ番組、人生の楽園で、天然酵母の石焼パンとして、すっかり全国に知られました。 
雪が残る岩木山(クリックで画像を拡大)
野風パンのテラスで(クリックで画像を拡大)
3尺管での稽古(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.5.4)

平成22年5月4日、弘前訪問で、平尾雄三氏宅を訪問して、瀧谷孤瀧師が使用していました地無し2尺延管を拝見しました。裏面に瀧谷孤瀧の文字が刻まれている。錦風流尺八なので、現代管よりも一回り太い。長年吹かれた尺八なので、音味の素晴らしさは表現できない。まさに津軽の味が出せる尺八だ。
裏面に瀧谷孤瀧の文字が(クリックで画像を拡大)
地無し2尺延べ管・銘なし(クリックで画像を拡大)
津軽独特の歌口(クリックで画像を拡大)
裏面に瀧谷孤瀧の文字が(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.5.5)

平成22年5月5日、佐藤初女さんの森のイスキアを訪問しました。佐藤初女さんは「おむすびの祈り」「いまを生きる言葉」「初女さんのお料理」の著書や、映画「地球交響曲第二番」で広く活動が知られています。森のイスキアを訪問した時に、お昼を食べて行きなさいと言葉をかけていただき、おいしい料理をいただきました。佐藤初女さんの息子さん、佐藤芳信さんは、若くして病気で亡くなっています。佐藤芳信さんは錦風流尺八は後藤清蔵氏の門下でした。ご馳走になったお礼に、3尺管で阿字観を聞いていただきましたが、佐藤初女さんは、私の演奏に涙を流しながら聞いていました。私にとっても忘れ難い旅になりました。森のイスキアの屋外で、地元の錦風流尺八家・藤田竹心氏、平尾雄三氏と3人で調、下り葉の合奏をしました。
佐藤初女さんと森のイスキアにて(クリックで画像を拡大)
3尺管で阿字観の演奏(クリックで画像を拡大)
森のイスキアの前で(クリックで画像を拡大)
森のイスキアの側の水芭蕉(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.5.6)

平川市にあります猿賀神社は蝦夷征伐のために北上した坂上田村麿が「神蛇宮」として建立したと伝えられていいます。上段の写真は猿賀神社の鳥居。藩政時代に入り、津軽為信公より祈願所と定められた。5月6日、猿賀神社を訪問し、山谷敬宮司にお会いして、祖父の山谷義雄氏は錦風流尺八は津島孤松師の門下であったので、尺八や楽譜が残っていないか確認をしたところ、自宅にあることがわかり、次回に弘前を訪問した時に拝見させていただきことにしました。山谷敬氏も大学時代に、川瀬派の琴古流を学んだとのことです。写真中段は、山谷敬宮司と、下段は猿賀神社の本殿。猿賀神社の境内には広大な蓮池があります。
猿賀神社の鳥居(クリックで画像を拡大)
山谷敬宮司と(クリックで画像を拡大)
猿賀神社本殿(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.11.6)

平成21年11月6日、弘前を訪問しました。今回は、藤田竹心氏宅にて、地元弘前三曲協会で活躍されています、都山流尺八の境道山先生にお会いすることが出来ました。境先生から、今迄、錦風流尺八の蒐集した資料を拝領しました。上段の写真は、境先生が上京された時に、錦風流尺八四代目宗家・井上照影師宅を訪問された時のものです。(平成12年1月撮影)、中段の写真は、弘前で彫刻家であった村上文雄氏が、錦風流三代目宗家・成田松影師から、もらった師範免状です。村上氏と私の師匠・岡本竹外先生は兄弟弟子になります。この免状は、村上文雄氏が亡くなった時に、境道山先生が形見にもらったものです。下段の写真は、二代目宗家・永野旭影師から三代目宗家・成田松影師に引き継がれた時の覚書です。
四代宗家と境道山氏(クリックで画像を拡大)
村上文雄氏の免状(クリックで画像を拡大)
宗家の引き継ぎ書(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.1)

平成21年5月1日から3日まで、根笹派錦風流の名手を偲んで弘前の旅をしました。昨年他界されました津島孤松系の松岡幸一郎・松岡俊二郎氏の形見の尺八や楽譜も拝見することができました。また神田可遊氏の尺八評論7号の記事に、昭和55年6月に錦風流尺八が青森県無形文化財に指定されたので、後藤清蔵氏、松岡幸一郎氏が先師の墓を調査されたことが書かれていました。その記事を参考にして、この旅で、そのお墓を巡ることにしました。また、故・松岡俊二郎氏宅には、みなさんが先師の墓の前で献奏している写真もありました。今回、その記事を頼りに、お墓を確認できたのは、伴勇蔵(誓願寺)、乳井月影(盛雲院)、津島孤松(正光寺)、17世芳樹和尚(蘭庭院)、川口桂舟(長徳寺)、松岡金一、松岡幸一郎(寿昌院)、斎藤周童(黒石市・円覚寺)、森庸三(西光寺)。確認出来なかったのは、成田直道(正蓮寺)、野村貫風(真教寺)、柴田峰月(海蔵寺)、須藤清(永昌寺)、岡本不二男(安盛寺)、内山嶺月(天徳寺)、後藤清蔵(受源院)です。上段の写真は、伴勇蔵師の菩提寺、光明山誓願寺の重要文化財に指定されている鶴亀門。誓願寺本堂には、錦風流尺八の元祖とも言うべき、伴勇蔵建之師の功績をたたえて、明治20年11月2日、門弟、乳井月影はじめ50名の名前を連ねた額が掲げられています。下段の写真は、伴勇蔵師の墓です。伴勇蔵師の墓は、弘前郊外、田舎館村にありましたが、末裔の方が誓願寺に移したとのことです。
誓願寺鶴亀門(クリックで画像を拡大)
伴勇蔵師の墓(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.2)

錦風流尺八の名手であった乳井月影師の墓を探すために、菩提寺の盛雲院の若奥さんに乳井家の墓の場所を尋ねたのですが、古いので見つからないかもと返答されました。本堂裏の墓地に行くと、津軽三味線の大家・木田林松栄師の立派な墓が目に入りました。そこから、下の墓地を眺めたら、見つけるのは不可能ではと思いましたが、下の墓地まで降りると、自分の意思ではなく、自然に足が動いて、立ち止まった場所の墓を見たら、自然石に月影院笛聲永昌居士の名前が目に入りました。早く来て尺八を吹いてくれと言わんばかりのように感じました。上段の写真は、盛雲院の本堂、中段の写真は、乳井月影師の墓、下段の写真は、乳井月影師の弟子、津軽3名人の一人、津島孤松師の墓がある正光寺。
盛雲院本堂(クリックで画像を拡大)
乳井月影師の墓(クリックで画像を拡大)
正光寺本堂(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.2)

上段の写真は、錦風流尺八3名人の一人、津島孤松師の墓です。墓石の文字は、錦風院殿竹翁孤松居士、昭和7年10月4日、津島賢四郎、75歳と刻まれていました。この墓の前から、右前方に盛雲院の墓地にあります、乳井月影師の墓を見ることができます。亡くなっても師弟関係の強いつながりがあるのでしょうか。中段の写真は、流し六段の名手・芳樹和尚の墓がある蘭庭院です・最近、本堂が建て替えられたので、その昔、芳樹和尚の吹く流し六段を縁の下に忍んで聞いていた、伴勇蔵師の話は、想像できません。下段の写真は、蘭庭院十七世鉄山芳樹和尚の墓、天保14年正月没、41歳と文字が刻まれています。
津島孤松師の墓(クリックで画像を拡大)
蘭庭院本堂(クリックで画像を拡大)
芳樹和尚の墓(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.10.11)

平成22年10月11日、早朝散歩に出かけました。上段の写真は禅林街・盛雲院の墓地にあります錦風流初代宗家・乳井月影師の墓前にて3尺管にて錦風流・調を献奏しました。また、下段の写真は正光寺の墓地にあります、津島家の墓、乳井月影師の弟子、津島孤松師の墓前にて献奏しました。いつ来ても津島家の墓には、お花が絶えたことがない。
乳井月影師の墓前で献奏(クルックで画像を拡大)
津島孤松師の墓前で献奏(クルックで画像を拡大)

弘前の旅(2011.5.7)

平成23年5月6日から9日まで弘前を訪問しました。上段の写真は、津島家の墓。今回もきれいにお花が供えてある。上から二段目の写真は、津島孤松師の墓前で錦風流・調の献奏をする。今回は正光寺の住職にも、お会いすることが出来ました。下、2枚の写真は、禅林街の海蔵寺の山門と折登如月師の弟子・柴田峰月師の墓。 
津島家の墓(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
禅林街・海蔵寺(クリックで画像を拡大)
柴田峰月師の墓(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2011.9.10)

平成23年9月9日から12日まで弘前に出かけました。上段の写真は、禅林街にあります種里山・鳳松院です。この寺は、錦風流尺八の名手で、東京や大阪で活躍されました乳井建道師の奥さんの実家です。鳳松院本堂の上部には、天女の彫刻が飾ってあります。この天女のモデルは乳井建道師の長女、田村琴子さんがモデルになったとのことです。下段の写真は鳳松院二十九世、大休和尚の書かれた襖絵です。大休和尚は棟方志功氏と一緒に絵の勉強をされたとのことでした。バーミアンの遺跡の壁仏の油絵は、博物館に展示されているとのこと。
禅林街・鳳松院(クリックで画像を拡大)
鳳松院本堂(クリックで画像を拡大)
大休和尚の絵(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その1)(2011.11.4~11.6)

平成23年11月4日~6日、弘前を訪問しました。早朝の散歩では、乳井月影師、津島孤松師、内山嶺月師、後藤清蔵師の墓前で献奏をしました。
津島孤松師は、青森市内で活躍されたました。昭和7年10月3日に胃がんのため亡くなりました。遺骨は、青森市内本町1丁目にあります曹洞宗・常光寺の墓地に埋葬されましたが、その後、身よりもなく、墓にお参るする人もなくなったので、津島家の本家の墓地、弘前市禅林街、曹洞宗正光寺に移されました。津島孤松師の墓石の側面には、大正7年6月3日に亡くなりました津島孤松師の一人娘・津島千恵子 青森 常光寺に葬ると刻まれています。 
乳井月影師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
内山嶺月師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)
後藤清蔵氏師の墓前で献奏(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(その2)(2011.11.4~11.7)

今回のたびでは、弘前出身の井上重美作の琴古流尺八を拝見することができました。私の師匠、岡本竹外先生は、井上重美師の弟子であり、岡本先生の吹き料は、井上重美作でした。井上重美作の尺八は地が少なく、音味がいいと言われ、昔、吹かせていただきました。今回の拝見した尺八は、古いものなので、かなり地がついていました。竹材が太いので、調律には、これだけの地が必要だったのでしょう。写真の尺八、裏穴横に井上重美作の焼き印がある。 
井上重美作の尺八を吹く(クリックで画像を拡大)
井上重美作の尺八(クリックで画像を拡大)
井上重美作の尺八(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2012.5.11)

平成24年5月11日、虚無僧研究会の小菅会長、幹事の阿部敏行氏と、虚無僧研究会の献奏大会を秋に弘前誓願寺で開催するために、弘前に出かけました。地元の錦風流県技芸保持者・平尾雄三氏、藤田竹心氏・板垣孝尚氏は、大変お世話になりました。11日の夜は、平尾雄三氏宅において歓迎会を開催していただきましたが、その席に、近所の錦風流尺八家・三戸建次氏が出席されましたが、三戸氏が、秩父宮殿下の前で御前演奏をしました、斎藤周童氏が愛用されました、錦風流二尺管を持参され、拝見することができました。この尺八は地無し延べの二尺管です。箱書きには、秩父宮殿下御手付之笛と書かれています。この尺八には、作者の銘がありませんが、おそらく折登如月作でしょうか。御前演奏で一緒に演奏されました、山谷孤山(義雄)氏の尺八は、折登如月作、地無し中継ぎの二尺管で、如月の焼き印がありました。津軽弁で吹く、錦風流には、このような道具が必要です。
御前演奏尺八(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2012.9.7~9.8)

昭和10年、昭和天皇の弟、秩父宮殿下が弘前歩兵31連隊に勤務することになり、その宿泊所は菊池別邸でした。その時に、錦風流尺八家の斎藤周童、山谷孤山師の二人が、御前演奏をしました。また、秩父宮殿下警護のために、写真の紺屋町臨時巡査派出所に、作家・寺山修司のの父、寺山八郎が巡査として勤務しました。この建物も、老朽化のために、昨年から改修工事が始まりましたが、原型を残して、復元工事が完了しました。下段の写真の道路を少し先に進み、右に曲れば、錦風流尺八の祖・伴勇蔵師の菩提寺・誓願寺があります。今年の10月7日は、この誓願寺で虚無僧研究会の献奏大会が開催されます。追記:地元の錦風流尺八家・高橋勝良さんから聞いた話では、自分の錦風流尺八の師匠・松山定之助氏は、桶職人であったので、秩父宮殿下が菊池別邸に宿泊された時の風呂桶を製作したとのこと。稽古の時に、松山定之助氏が口にしたのは、「火事になったら、秩父宮殿下の風呂桶を一番に持ち出すように」こう指示されていたようです。この菊池別邸も後に火事で焼失しています。
改修された昔の巡査派出所(クリックで画像を拡大)
建物の説明書(クリックで画像を拡大)
横から見る(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.7.30)

平成21年7月30日、弘前を訪問しました。今回の旅では、地元の錦風流尺八家であり笛師の藤田竹心氏と錦風流尺八の長老、津島六奥氏に会うことができました。津島六奥氏からは、津島孤松師の形見の尺八やアルバム、楽譜などを見せていただきました。形見の尺八は地無し延管で1尺9寸管と1尺4寸管です。津島六奥氏は、津島孤松師の甥っ子であり、幼少の頃、母に連れられて、青森市内の津島孤松師の家を何度も訪問したとのことがあるとのこと。
錦風流尺八は、青森市内の瀧谷孤瀧師宅に稽古に3回通ったが、その後、弘前市内の松岡幸一郎(錦堂)師に習ったとのことです。 
向かって左が藤田竹心氏、右が津島六奥氏(クリックで画像を拡大)
左が前川耕月、右が津島六奥氏(クリックで画像を拡大)
津島孤松師形見の尺八(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2011.11.5)

文化12年(1815)弘前藩九代藩主・寧親公の命により、弘前藩士・吉崎八弥好道は、虚無僧寺・一月寺にいました根笹派出身の栗原栄之助(竹号・錦風)に尺八を師事しました。3年の修行の後に、弘前に戻り、奉行として勤務していました。天保5年(1834)11月24日には深浦奉行として禄高150石で、この北前船の寄港地、深浦の町で、日本海を眺めながら尺八を吹いていたのでしょうか。
北前船の寄港地(クリックで画像を拡大)
深浦の港(クリックで画像を拡大)
円覚寺の由来(クリックで画像を拡大)
深浦町・円覚寺(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2011.9.10)

今回の弘前の旅では、弘前市新寺町にあります真宗大谷派正蓮寺を訪問し、住職の奥さんから成田夜雨師の思い出話を聞くことができました。成田夜雨(直道)師、(1883~1970)、錦風流尺八は二代宗家・永野旭影師の門下。
正蓮寺山門(クリックで画像を拡大)
正蓮寺本堂(クリックで画像を拡大)
住職の奥さんと話をする藤田竹心氏(クリックで画像を拡大)
成田夜雨師の眠る墓(クリックで画像を拡大)

春の弘前訪問(2012.5.13)(その1)

桜の残る弘前を訪問しました。錦風流尺八の歴史調査の合間に、春を楽しんできました。
岩木山の山麓から(クリックで画像を拡大)
弘前城天守閣(クリックで画像を拡大)
弘前公園からの岩木山(クリックで画像を拡大)
弘前公園の桜(クリックで画像を拡大)

春の弘前訪問(2012.5.13)(その2)

弘前公園の桜(クリックで画像を拡大)
弘前公園の桜(クリックで画像を拡大)
弘前公園の桜(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2014.5.10)弘前藩菩提寺・報恩寺と蘭庭院・芳樹和尚が眠る東海家の墓について(その1

弘前市新寺町にあります報恩寺は、明暦元年(1655年)江戸で死去した弘前藩三代目藩主信義の菩提を弔うため、明暦2年に四代目藩主信政が創立したもので、以後、歴代藩主の菩提寺として、その伽藍は壮麗を極めたが、数度の火災に遭い、現在の建物は宝永元年(1704年)に信義五十回忌に当たって再建されたことが棟札に記録されている。現在は、弘前藩主の墓塔は禅林街・曹洞宗長勝寺に移転している。
この報恩寺に、錦風流外伝・流し六段の名手と知られた、蘭庭院の十七世・鉄山芳樹和尚が葬られた東海家の墓があります。蘭庭院芳樹和尚については、昭和11年東奥日報新聞記事や、広瀬寿秀氏が明治二年弘前絵図:人物と景色を探してに記載されていますので、ここにその一部を紹介します。
文政年間(1820年頃)尺八の名手と言われた弘前禅林街・曹洞宗 蘭庭院の十七世住職芳樹和尚(1801-1841)は、弘前藩士東海正蔵氏の三男に生まれた。芳樹和尚には4人の男の兄弟があって、和尚はその三人目であるが、同和尚の弟、甚兵衛という人が、同藩の永井家(昭和11年当時は弘前市土手町永井薬店の祖先)に養子となり、抱節と号した俳諧師で一日に一千句を物にして、これを西茂森町大行院に奉納したことがあり、東海家にも、その控えがあったが、弘前大火の際、焼いてしまった。何故、芳樹和尚や抱節にしろ弘前藩士である東海家生まれて藩士にならなかったのかと言うに、同家の祖先、東海伊兵衛(注・吉兵衛の間違いか)は大浦城に居を構えていた津軽為信公の弘前城築城の際、縄張り役(現今の監督)を務めたので、当時の慣例で城郭築城の文章を焼却し一家は落人して津軽を後に、現在の兵庫県に渡り、年を経て帰国、鰺ヶ沢に上陸、百姓をし、それより弘前市紺屋町に居住を構え、「兵庫屋」という屋号で酒造業を営んだ、正蔵氏の代になって再び、足軽軽輩として士分になったが、其子供たちは、皆、自分の望む道に落ち着いた結果であると言われている。ここで陸羯南の新聞日本を手伝った赤石定蔵、海軍造船少将で山田純三郎とともに中国革命に関わった東海勇蔵と、その兄、東海健蔵の父、栄蔵は、その父親と思われる正蔵のころに、紺屋町の造り酒屋で繁盛し、武士株を買った可能性がある。東海栄蔵の家は田茂木町の外れに付け足したようにあるには、こういった事情によるものかも知れない。芳樹和尚は東海家の三男で、東海栄蔵の長男健蔵からみれば、叔父ということは、東海正蔵の長男か二男が栄蔵、三男が芳樹和尚、四男が抱節ということになる。一方、城縄張りがいくら機密であるからといって、その担当者を落人にさせることはなさそうで、東海吉兵衛には、その兄弟に伊兵衛というものがいて、何かの事情で落人となって兵庫に渡ったのかも知れない。蘭庭院・十七世鉄山芳樹和尚は没後、先祖のお墓、新寺町報恩寺の墓地にあります東海家の墓に眠っています。 
新寺町付近の案内図(クリックで画像を拡大)
報恩寺の由緒(クリックで画像を拡大)
報恩寺山門(クリックで画像を拡大)
報恩寺本堂(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2014.5.10)弘前藩菩提寺・報恩寺と蘭庭院・芳樹和尚が眠る東海家の墓について(その2

報恩寺本堂(クリックで画像を拡大)
芳樹和尚の眠る東海家の墓(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.10.10)錦風流尺八と長利仲聴について(その1)

弘前市田町八幡宮通りに、神職の墓地が道に両側にあります。一つの方は、秩父宮殿下の前で御前演奏をしました猿賀神社宮司・山谷義雄(孤山)師の墓があります。また、道の反対側の墓地には、山谷義雄氏の実の弟で錦風流尺八の名手であり、弘前東照宮宮司、工藤虎雄氏の墓があります。また、この墓地には、長利仲聴氏の墓もあります。明治16年に錦風流初代宗家・乳井月影師が書き残しました、錦風流尺八本調子之譜がありますが、この表紙裏には、尺八の由緒について、長利仲聴が書いています。
長利仲聴の説明(クリックで画像を拡大)
長利仲聴の説明(クリックで画像を拡大)
長利家の墓(クリックで画像を拡大)
錦風流本調子之譜(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2010.10.10)錦風流尺八と長利仲聴について(その2)

長利仲聴について弘前市立郷土文学館の解説がありますので、ここに一部を掲載します。

長利仲聴(おさり・なかあきら)は仲房の五男として文政六年(1823)十月二十八日、現、弘前市禰宜町九番地二に生まれる。幼少より岩木山神社神主、安部常陸(仲昌)、学問所和学士、斎藤熊蔵(規沖)らについて神学、和歌を学ぶ。天保六年(1835)八月、十三歳にして兄、仲好の嗣子となり、祖先より四十九代目の家督を相続す。後、代々奉仕せる熊野神社神主となる。弘化二年(1845)七月、二十三歳の時、十一代藩主順承(ゆきつぐ)公の命により、江戸の海野遊翁に従い歌道を学ぶ。嘉永三年(1850・28歳)には京都の千種有功卿の門に入り歌道を修める。同四年(1851・29歳)従五位下に叙せられ、薩摩守に任ぜられる。安政四年(1857・35歳)七月、豊富村を新たに開き、その村の氏神、豊崎稲荷神社を建立しその斎主となる。慶応二年(1866・44歳)平田鉄胤が門に入り国学を収め、明治元年(1868・46歳)社家銃隊一番組締役を申し付けられる。以後、招魂祭祭主、社人取締、学問所(稽古館)皇学士取扱、学校助教皇学掛、社家長、社務触頭を勤め、明治六年(1873・51歳)十二月岩木山神社禰宜、同十三年(1880)十一月五十八斎の時、青森県人としては最初である国幣小社岩木山神社第八代宮司に任ぜられる。更に青森県皇典講究分所長委託、同二十六年(1893・七十一歳)従七位となり、同三十二年(1899・七十七歳)正七位に叙せられ、同三十三年(1900)十一月七十八歳にして、二十年間勤めた国幣小社岩木神社宮司を依願退職する。明治三十六年(1903)四月二十二日没す。享年八十一歳。
仲聴翁は資性温順篤実と言われ、家を継いで以来、六十八年の間、神に仕え、上を敬い下を慈しみ、萬に行き届いた人であったと言う。国学の道に秀で、また桜園と号して和歌の道を極め、門人は千余人に及んだ。明治三十五年(1902)四月、起きなの八十歳の祝賀に寿ぎの書、画、和歌などを送ってくれた人は 実に二十三府県に及び五百二十人の多きに達したことも翁の交友の広きを如実に物語っている。翁は津軽地方の近世の大家と言われ、能く後進を薫陶し、風教を益し、文運を祐け、喧嘩の皇典や歌道に志すものの殆どは仲聴翁の門に入ったと言う。更に翁は能書家としても名を上げ、地方風流人士の献額並びに序文の揮毫にも大いに協力したと言われている。
弘前市新町の浄土宗誓願寺本堂には、錦風流尺八の祖ともいうべき、伴勇蔵建之師をたたえる額が掲げらえていますが、その額の文字も長利仲聴が書いたのではと言われています。 
長利仲聴の花押(クリックで画像を拡大)
誓願寺本堂の額(クリックで画像を拡大)
誓願寺本堂の額(クリックで画像を拡大)
誓願寺本堂の額(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.1)錦風流尺八県技芸保持者故・松岡俊二郎(竹風)氏宅訪問の記録(その1)

平成21年5月1日、青森県無形文化財、錦風流尺八県技芸保持者・故・松岡俊二郎(竹風)氏宅を訪問しました。前年の平成20年3月に松岡俊二郎氏は亡くなり、同じ県技芸保持者で兄の松岡幸一郎(錦堂)氏は、12月に亡くなりました。地元の錦風流尺八の長老、二人が亡くなり、その伝承も危ぶまれる状況に、何か資料を後世に残せればと、ご遺族にお願いして形見の品を拝見させていただきました。その中に、松岡幸一郎、俊二郎兄弟の父親で、錦風流尺八を明治の末期に、青森市内にいました津島孤松師に師事された松岡金一氏の写真も拝見することが出来ました。松岡金一氏は、弘前のリンゴを海外に出荷する仕事をしていた方だったようです。その中に、尺八を手にされた写真も見ることができました。松岡金一氏の時代には、青森の津島孤松師門下は、100名くらいいたようです。昭和56年に、弘前大学教授、笹森建英氏と折登如月門下の内山嶺月氏の活動により、青森県無形文化財・錦風流尺八県技芸が認定されました。認定された時には、すでに内山嶺月氏は病死され、また、松山定之助氏は高齢で尺八がすでに吹けない状況で、結局は、後藤清蔵氏、松岡幸一郎氏、松岡俊二郎氏の3名が認定されました。認定を受けました、後藤清蔵氏、松岡幸一郎氏、松岡俊二郎氏の3名は門下の方々と、錦風流尺八の先師の墓を調査され、その墓前で献奏しました。その写真をここに紹介します。
左から松岡幸一郎氏と松岡俊二郎氏(クリックで画像を拡大)
尺八を吹かれる松岡俊二郎氏(クリックで画像を拡大)
左から松岡幸一郎氏と松岡俊二郎氏(クリックで画像を拡大)
寿昌院・松岡金一氏の墓前で献奏(錦j風流一門)(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.1)錦風流尺八県技芸保持者故・松岡俊二郎(竹風)氏宅訪問の記録(その2)

全員写真・前列、須藤任子、中列左から、(不明)、松岡幸一郎、後藤清蔵、
松岡俊二郎、後列左から、平尾雄三、津島六奥氏 
弘前・錦風流一門の皆さん(クリックで画像を拡大)
錦風流先師の墓の調査の手紙(クリックで画像を拡大)
錦風流先師の眠る寺(クリックで画像を拡大)
錦風流先師の墓の調査の手紙(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.1)錦風流尺八県技芸保持者故・松岡俊二郎(竹風)氏宅訪問の記録(その3)

弘前市でリンゴの輸出を商売としていました松岡金一氏、明治末期に青森市内で津軽錦風流尺八の名人として知られていました津島孤松師に入門、松岡家には明治45年に津島孤松師が書いた譜本が残されています。松岡金一氏の長男・松岡幸一郎(錦堂)、次男・松岡俊二郎氏は昭和56年に錦風流尺八県技芸保持者に認定されています。弘前市内、岩木川にかかる富士見橋が水害で流され昭和33年3月に新しい富士見橋が完成した時の祝賀で、松岡竹風氏、後藤清蔵氏が、祝賀行列の先頭で尺八を吹いています。
松岡金一氏の吹奏写真(クリックで画像を拡大)
弘前市富士見橋完成祝賀会(クリックで画像を拡大)
松岡金一氏が津島孤松師に入門した時の楽譜(クリックで画像を拡大)
松岡金一氏が津島孤松師に入門した時の楽譜(クリックで画像を拡大)

弘前の旅(2009.5.1)錦風流尺八県技芸保持者故・松岡俊二郎(竹風)氏宅訪問の記録(その4)

松岡家に残る楽譜。津島孤松師の門下、松岡金一氏は、昭和19年に57歳で
亡くなりました。錦風流尺八・津島孤松系の伝統は、その後、長男の松岡幸一郎、次男の松岡俊二郎氏がに引き継がれました。
錦風流尺八の伝統(クリックで画像を拡大)
松岡兄弟の名前が記載されている(クリックで画像を拡大)
流し鈴慕の楽譜(クリックで画像を拡大)