山寺、慈恩寺へ、吹禅旅日記(伊東笛斉)
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山寺、慈恩寺へ、吹禅旅日記(伊東笛斉)(その1)

故・伊東笛斉先生の思い出として、平成2年10月、虚無僧研究会の会報に投稿されました記事を紹介します。平成2年8月、明暗蒼龍会の夏季研修旅行が山形県の山寺と慈恩寺において開催され、地元・山形臥龍会の皆さんとの合同吹禅会として計画されました。

「山寺、慈恩寺へ、吹禅旅日記」(伊東笛斉著) 
8月25日
蒼龍会平成二年度夏季研修旅行のご案内を頂いたのは、たしか七月始め暑い盛りであった。出掛けるのは八月も末だからもう余程涼しくなっているに違いない、初秋の東北の旅も又格別であろうと、参加させて頂くことにした。今年の夏は何時までも暑く、前の晩の東京は相変わらず蒸し風呂のようであった。それでもやはり東北である。昼頃降り立った仙山線山寺の駅は日盛りとはいえ、涼風一陣、頬に感じる風がこころよい。地元臥龍会の方々のお出迎えを受けて、一旦山寺ホテルに落ち着く。今回は山形臥龍会の方々の全面的なお世話を頂いて、万事好都合に運んだ、とは蒼龍会幹事相藤さんのお話である。献奏も蒼龍会、臥龍会合同吹禅会ということで、いよいよ古典尺八の隆盛再び、と感じたのは私だけであろうか。 賑やかな昼食会の後、服装を整えて山寺本坊に登る。この有名な山寺は、正式には宝珠山立石寺という。凡そ1200年前、慈覚大師によって開山された古刹であり、江戸時代には1400石のご朱印寺であった。それよりもなによりも芭蕉翁ゆかりの地として一層知られていることは言うまでもない。山寺登山口から、有名な句碑の前を経て奥の院に通ずる山門前で記念写真、そしてまず根本中堂に一同着席。合同献奏会の第一声「調子」の献奏が始まる。二六の二尺三寸管から流れ出る尺八の響きはいんいんとして山寺の谷あいにこだまする。ついでに本坊に移動。本坊前庭の大きなすすきの株はもう既に高く穂を出して、秋の太陽に光っている。一同着席。半澤龍峰師の進行で合同献奏会第一日が始まる。
(以下当日の献奏曲目、並びに献奏者)
(一)調子 全員、(二)回向 蒼龍会全員、(三)虚空 全員、(四)越後鈴慕 高橋峰外、野崎光外、小野笛外、前島竹堂、伊東笛斉、松沢空外、吉田磐外、菅木雪水、乾莞空(五)滝落の曲 岡本竹外、野崎光外、相藤竹声、吉田磐外、菅木雪水、乾莞空(六)阿字観 前川耕月、松沢空外、高橋峰外(七)龍吟虚空 石綱清圃(八)布袋軒鈴慕 小野笛外、吉田磐外、菅木雪水、岡本竹外(九)松風 伊東笛斉、高橋峰外、岡本竹外(十)奥州薩字 松沢空外、前川耕月、鈴木凰外、藤田正治(十一)鹿鳴 前島竹堂、岡本竹外、伊東笛斉、高橋峰外(十二)母鈴慕 藤田正治(十三)鈴法 鈴木廬山(十四)大和調子 臥龍会全員(鈴木廬山、高橋龍童、結城典龍、五十嵐進山、半澤峰龍、吾妻神龍、石川淳風、佐藤仁龍)(十五)臥龍軒鈴慕 高橋龍童(十六)虚鈴 全員
三時間にわたる献奏の間に、蒼龍会、臥龍会会員から流れる二尺三寸管の竹韻は次第に高揚し、呼吸はピタリと一致して、最後の献奏曲「虚鈴」は最高に盛り上がる。余韻嫋々として突元たる山寺全山しみいる。午後五時終了。周りの風景を鑑賞しながら三三五五、山を降りる。ゆくりなくも三百年の昔、芭蕉翁旅日記の一節を思い出す。「むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語り伝うといえども、山崩れ、川流れて、道あらたまり、石は埋もれて、土にかくれ、木は老いて若木にかはれば、時移り代変じて、其の跡たしかならぬ事のみを、ここに至りて疑いなき千歳の記念、今眼前に古人の心をけみす。行脚の一徳、存命の悦び、旅の労をわすれて、泪も落つるばかりなり。」と。(奥の細道二六)
午後六時から山寺ホテルの大広間にて懇親会が開かれる。鈴木会長、岡本会長の挨拶、それに小菅虚無研会長のユニークな挨拶があって、同会長の発声で乾杯。蒼龍会高橋峰外師は臥龍会石川淳風と同郷同窓のよしにて、宴会は一層盛り上がる。初秋の夜、宴すすむにつれて一同十年知古に如く、美酒に酔いしれる。

八月二十六日
朝六時より有志奥の院へ。筆者は数年前に千余段の石段を見上げて恐れをなし、そのまま礼拝し、回れ右をした。今回も残念ながら割愛。某氏は元気余って、道をやや間違えて奥の院の上に辿り着き、上から奥の院如法堂を見下ろしたという。真偽のほどは知らない。朝食後一同山寺「風雅の国」へ。山寺のま向かい立谷川を挟んだ広い地域に古い民家をアレンジして幾つもの建物が配置してある。一同はこのなかの一つ、茶室「閑蝉庵」に集まり、岡本竹外師の「夕暮」の解説を聞く。
『尺八史考』に「仙院(霊元天皇)いまし給ふある秋の暮つかた、何地ともなく籟の音の風にたぐえて吹おくれる其声、怨るが如く慕ふが如くただならぬを、院聞召して其の籟の行衛を求めさせらるるに、独の普化僧の街を通る手ずさみにてぞ有りける。今の一手は何という曲也やと人をして尋ねさせ給ふに、薦僧云、名のある曲にては候はず、何となく秋暮れの物しきに感じ候て、時の調子をはからずもしらべ候のみに御座候と申し上げければ、今の一手に『夕暮』という勅命をくださる儘・・・・・・・・」「夫よりこの一曲を端手の組に入れて、今も是を吹くとかや。其薦僧は鈴木了仙となん云る。正徳享保の始迄も在し尺八の妙手なりと・・・・・」従って尺八の曲多くある中で天皇が命名された曲はこれ一つであると。更に詳しい吹禅技法の一つ一つの説明あり。最後に岡本氏感有り。
夕暮れの築地(ついじ)の小道を吹き行けば鐘の音ひびき松風ぞ吹く
そのあと岡本、松沢両師の二尺三寸管にて模範演奏、更に一同、配布された音譜をもとに連管する。山寺の閑静な茶室「閑蝉庵」での「夕暮」の一曲は正に風雅の極みであった。十一時出発。臥龍会会員のお世話で車に分乗して長源寺を経て寒河江慈恩寺へ。長源寺は山形臥龍軒の菩提寺である。高橋龍童師のご案内で、山形市内にある金山家(臥龍軒最後の看主太岳運芳氏の子孫、一音成仏第六号参照)に伺い、普化禅師像を拝観、拝礼、献笛をなす。更に途中臥龍会道場を参観。さすがに近代尺八界の㤗斗、川瀬順輔師の出身地であり、また山形にての浦本浙潮会スタート地という由緒を思えば、当地の尺八界の隆盛もさこそ頷かれるのである。昭和二十年代の後半浦本師を中心とした浙潮会が結成され普化尺八が推進されたが、先生帰京後は高弟佐藤煙雨師を中心に継続された。佐藤師はその後急逝されたが、そのあと鈴木廬山師を会長、指導は高橋龍童師、として臥龍会が再スタートしたという。山形普化尺八界の隆盛を思うのである。広い舗装道路が寒河江市に一直線にのびている。月山登山口、慈恩寺入口の大きな看板が目につく。慈恩寺方丈にて、おそばのご馳走になる。美味しい!(「お蕎麦の慈恩寺」の由)。その後、本堂にて、お寺の説明を聞く。伽藍記によれば天仁元年(1108)鳥羽天皇の時。奥州藤原基衛が勅命により再興修造したと記されている。寒河江市荘は摂関家藤原氏の荘園であった。従って古くからこの遥かに遠い東北の地に京都文化が直接入ってきた。仏像は重文の阿弥陀如来をはじめ、何れも中央の優れた仏師によるものであるという。本尊阿弥陀如来は恵心僧都作、その他文殊菩薩、普賢菩薩、梵天、帝釈天等、十四体をかぞえる。それに如来の眷属十二神将がそれぞれ、らんらんと目を怒り輝かせて阿弥陀様を守っている。本堂弥勒堂は元和四年(1618)再建されたものであるが、重要文化財建造物に指定されている。江戸時代には寺領は十八か村にまたがり、寛文五年(1665)にはご朱印高は二八一二石であった。
この荘嚴な本堂にて、いよいよ第二回吹禅会が半澤峰龍師の進行で始まる。
(以下、当日の献奏曲目並びに献奏者)
(一)調子 全員 (二)回向 蒼龍会全員 (三)虚空 全員 (四)越後三谷 高橋峰外、野崎光外、小野笛外、前川耕月、相藤竹声(五)吟龍虚空
石綱清圃 (六)慈恩寺鈴法 導奏 藤田正治、蒼龍会全員 (七)吾妻の曲 野崎光外、小野笛外、乾莞空、相藤竹声 (八)松風 伊東笛斉、岡本竹外、高橋峰外 (九)鈴法 鈴木廬山 (十)大和調子 臥龍会全員 前日ご出席の方の他に、大宮真龍、小松孤龍、富樫恪龍 (十一)臥龍軒鈴慕 高橋龍堂 (十二)虚鈴 全員
前庭にある梵鐘の音が時折ゴーンと響く。この梵鐘はNHKの”ゆく年、くる年”の除夜の鐘で有名である。鐘楼、梵鐘の建立は天和三年(1683)であるが、「天和三年頃当山鐘の古書」という古文書の書き出しに「良く鐘破候而一山苦労仕候・・・・」とある。慈恩寺宗務長大江慶順師によれば古刹ゆえか、昔山内に紛争が多く、そのゆえに鐘銘がないようだ、と。一曲終わって尺八の音が余韻を響かせている時、鐘の音がゴーンとひときわ長く響く。不思議によく協和音をなして慈恩寺の大伽藍に吸い込まれて行く。又、一曲終わると、蝉の大合唱が ミーンミーンと余韻を残して終わる。これまた尺八の音に協和する。午後五時、吹禅会は全部終了した。二日間の快晴も終わり、空にはやや雲が広がり、遠雷が聞こえて来る。遠くは降っているらしい。再会を期して挨拶、再び臥龍会の方々の車に分乗、山形駅へ、右手の道路わきから遥かに続く水田には稲穂がもう黄色く色づいている。今年は豊作らしい。そのはるか向こうの端には羽黒三山に一つ、月山の緩いやまなみがかすんで見える。(平成二年九月十日)

山寺、慈恩寺へ、吹禅旅日記(伊東笛斉)(その2)

この旅では、8月26日の朝、虚無僧研究会の小菅会長は、茨城県在住で虚無僧研究会の事務の手伝いをしていただいていました、田沼天声氏の葬儀に出席のために急遽、東京に戻られました。
田沼天声(嶋村玄冲師門人)平成2年8月23日没(69歳)
今では、この会の出席者の多数が故人となりました。
なつかしい思い出です。 
立石寺の山門前での記念写真
立石寺本堂での記念写真