吉崎八弥好道師のこと
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弘前に錦風流を伝えたと言われています吉崎八弥好道の家系について

弘前藩第九代藩主寧親公の命により文化12年(1815)に弘前藩士・吉崎八弥好道は一月寺に入門し、当時一月寺にいました根笹派出身の栗原栄之助(竹号錦風)に師事し、3年後、文政元年7月に弘前に戻りました。
ここに吉崎家の系図(吉崎家14代当主・吉崎一弘氏より)を掲載します。

先祖(半兵衛)→二代(作兵衛)→三代(権右衛門)→四代(新六・好勝)→

五代(権六・好里)→六代(権右衛門・好章)→七代(勇八・好殷)→八代

(権六)→九代(八弥・好道)→十代(喜作)→十一代(勇八)→十二代

(寅之丞)→十三代(操)→十四代(一弘)(寅之丞の長女・藤子の養子)

また吉崎一弘氏の調査されました吉崎家のことを、ここに掲載します。

吉崎家先祖吉崎半兵衛本国本所不伝承候、信牧公代銭七拾目、壱人口、御徒
被召出、其外不伝承候、二代作兵衛信義公代御徒被召出、慶安三年四月十三日新知高新田百石内真部御山奉行、三代権右衛門馬廻、四代新六好勝(木村茂左衛門二男)御小姓迄、五代権六好里寛保二年五月二十七日深浦奉行、六代権右衛門好章御目付役迄、七代勇八好殷(乗田忠左衛門三男)寛政二年六月三日長柄奉行格御小姓組之頭、同六年七月七日俵子三十俵勤料、物頭格是迄之通、同七年正月十一日弐拾石後加増、同十二年七月朔日御持鑓奉行百三十石、御薬知御小姓組之頭是迄之通、同三年五月廿二日死、八代権六好章御錠口役御小納戸兼、九代八弥好道文政五年正月廿八日御近習小姓御納戸兼、
同六年八月廿三日不調法有之御留守居組役下、天保四年九月十七日深浦奉行ヨリ御使番同六年二月朔日死、十代喜作(天保六年七月十五日)跡式百五十石(嘉永元年十二月十四日死)、十一代勇八(同年二年三月朔日跡式百五十石)    (旧家子孫書上士族由緒  全)

吉崎八弥好道と吉崎家のこと

吉崎家14代当吉崎一弘氏から提供を受けた資料より。


吉崎権六 百五十石 文化三寅年十月廿七日病死。 同年十二月廿八日家督 無相違倅貞蔵江被下置、御手廻二番組被候付

吉崎貞蔵 百五十石(御手廻与)文化四卯年四月朔日八弥与名改願之通同 十二年亥年六月廿六日若殿様御附御近習番被仰付、同年十月廿
一日若殿様小納戸役被仰付候

吉崎八弥 百五十石(御小姓壱 若殿様近習番与)御小納戸役、御附御小 納戸役江。文政五午年閏正月廿八日御附御近習小姓被仰付、御
小納戸役是迄之通被仰付候。文政五年午年二月二日奥通被仰付、 同六未年八月二十三日於江戸表言行不宣候ニ付、御留守居組江
御役下被仰付二番組江入。文政十亥年十一月十五日御手廻二番組
被仰付候。文政十三年八月廿一日御馬廻三番組番頭被仰付候。
天保四年巳年九月十七日深浦奉行被仰付。天保九子閏四月一日勤
中三人扶持勤料下置候。天保五年十一月廿四日御馬廻三番頭与。
天保六年二月朔日病死。(深浦奉行与)同年閏七月十五日跡式無
相違伜喜作江被下置候、尤喜作御手廻壱番組被仰付候。

吉崎喜作 百五十石(御馬廻壱番組番頭被仰付候)御使番八弥跡



錦風流尺八・吉崎八弥師の墓を訪ねる(その1)(2010.2.5)

津軽九代藩主・寧親公に虚無僧の本山・一月寺に尺八を学びに行くように命じられた、藩士・吉崎八弥好道。一月寺で3年間の修行をして弘前に帰り、錦風流尺八を伝えたことになっています。吉崎家の墓は、弘前市禅林街にあります曹洞宗・恵林寺でしたが、末裔の方が、東京に出たので、今では東京、西巣鴨にあります日蓮宗・長徳山妙行寺にあります。妙行寺は都営三田線の西巣鴨駅から徒歩5分のところにあります。庭にはうなぎ供養塔や魚河岸供養塔もあります。墓地は本堂の裏にあります。
妙行寺入口(クリックで画像を拡大)
入口より本堂を望む(クリックで画像を拡大)
妙行寺の説明(クリックで画像を拡大)
うなぎの供養塔(クリックで画像を拡大)

錦風流尺八・吉崎八弥師の墓を訪ねる(その2)(2010.2.5)

上段の写真は妙行寺本堂裏の墓地、大木の下に四谷怪談で有名な、お岩さんのお墓があります。その手前に吉崎家のお墓があります。中段の写真は吉崎家のお墓。吉崎家14代からは、岡山県備前市にお墓があります。下段の写真はお岩さんのお墓で、妙行寺の住職のお話では、今はお参りすると願い事がなかうとのことです。
妙行寺本堂(クリックで画像を拡大)
本堂裏の墓地(クリックで画像を拡大)
吉崎家の墓(クリックで画像を拡大)
お岩様の説明板(クリックで画像を拡大)

錦風流尺八・吉崎八弥師の墓を訪ねる(その3)(2010.2.5)

住職のお話では、お岩様の墓にお参りすると幸運に恵まれると、お参りする人が多いとのことでした。
お岩様の墓(クリックで画像を拡大)