錦風流尺八宗家引継ぎのこと
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錦風流尺八宗家引継ぎのこと(その1)2020.5.3

錦風流尺八宗家引継ぎのこと(4代宗家・井上照影師の手記より)
その時の様子は今でも目に浮かびます。何時とも違い、何やら重苦しい様な大変きびしい様な室の空気でした。奥さんは何時もにこにこしていたのですが、その日はきびしい顔をしていました。私は何か機嫌をそこねておこられるのではないかと思い神妙にしていまいました。先生はおもむろに後ろの押し入れの戸をあけて箱入りの尺八と乳井月影著の楽譜を出して今日からあんたに宗家をゆずるから、これを持って帰りなさいと云われました。とてもおことわり出来る様な状態ではありませんでしたので、それではおあずかり致しますと云って頂いた様なわけです。箱には立派な字で松風と書いてあります。中側には錦風流尺八(貮尺)錦風流宗家  初代真龍作  月影―旭影―松影  と書いてあります。そのとき先生から月影師からの伝言として宗家は必ず名前に影を付けること。錦風流を吹くときは必ず二尺管を吹奏することと伝えられました。箱の中には二尺1本と永野先生より成田先生への錦風流宗家引継目録が入っておりました。
錦風流宗家引継目録
宗家 永野旭影
引継者 成田清衛
今般宗家引継ぐ事に相定め候依て尺八左記の通り譲渡候也
昭和17年11月22日
1.二尺    初代真了作 1本
1.一尺九寸  二代真了作 1本
1.一尺三寸 一夜切り(夕暮)1本
以上   右 永野旭影印
成田清衛殿
と書いてあります。一尺九寸と一夜切りは戦時中、私の家(東中野)にあづけておいたが戦災で焼けてしまったと云う話でした。そう云えば父の室の戸だなの中に鉢巻をいっぱい巻いた黒い尺八と横笛を立てにした様な尺八のあったのが思い出されます。私は会員には錦風流を教えておりましたが、かたちだけ覚えても錦風流らしい味わいがなかなか出来ませんので先生にその事を伺いましたら、自分で勝手に作ってはいけない、今のままでかたちをこわさない様に吹いておれば、あんたはまだ若いし、年と共にだんだん分かって来るから心配はいらないし、もう教えることも無いと云われましたが、非常に心細い気持ちでしたが、あれからもう三十年ぐらいたちました。近頃やっと昔聞いた錦風流の感じが少し出てきました。ずいぶん永くかかるものです。昔し一、二曲を一生吹いたと云う話を聞きましたが、なる程と思う様にもなりました。これからが本当の勉強だと思い、毎日欠かさずに練習しております。

現在、私の知っている範囲の免許を授与されている人達を紹介します。
注記(この記事を書かれた昭和60年のころ)
師範 岡本忠毅(竹外)永野・成田両師直門(横浜)
師範 井上秀夫(秀風)成田師直門(宮城県塩釜市)
師範 木村泰夫(泰風)成田師直門(福島県いわき市)
師範 石井嶺雲(嶺風)井上直門(新潟市)
準師範 宮尾 乾(乾風)石井門人(新潟市)
師範 工藤豊次郎(玄風)井上直門(京都市)
師範 松井邦夫(一風) 井上直門(摂津市)
準師範 吉開守和(晃風)井上直門(亀岡市)

根笹派錦風流四代宗家  井上照影

宗家・井上照影師の言葉
私達も経験していますが、都山流をやった人、琴古流をやった人、明暗流をやった人、新曲をやった人、民謡をやった人、たとえそれが1年くらいであっても流儀のくさみと云いますか、それが良し悪しは別として他の流儀に変わりましても、十年、二十年ぐらいでは、そうそう抜け切れるものではありません。
岡本竹外先生の言葉
昭和29年1月に3代宗家・成田松影師より師範免状をもらいましたが、その後、3年くらいして、成田先生から、あなたもやっと錦風流になってきたなと言われたそうです。今では、即席に錦風流本曲を堂々と演奏する若い演奏家もいますが、本物はそう簡単に身に付くものではありません。基本の上に長年の稽古を積み重ねてやっと本物に近づくことができるのではないでしょうか。
宗家を訪問した境道山氏(クリックで画像を拡大)
宗家の引き継ぎ書(クリックで画像を拡大)
井上重志師の免状(クリックで画像を拡大)